>コンビニのアルバイトや接客を実際に見ていると感情のないロボットのような働き方をする人が目に付きます。>日本人は丁寧だと言われることもありますが、単にマニュアルを暗記しそれを繰り返すだけの存在になりつつあると思います。>以下、引用
>全体的に日本の接客スタイルが異常です。
そうですね。日本式は異常ですね。
>接客用語がすべてマニュアルでガチガチに決まっている。>そこから外れた対応はできない、または許されない。バカ丁寧を求められ、ちょっとでも力を抜くことさえも許されない。ロボットでいることを強いられる。
日本人には、それしかできないからでしょう。
>「今日は天気いいですね〜」とか、「どこかに行かれてきたのですか?」みたいな、人間的な会話もない。
マニュアルに書かれていないからでしょう。
>すべてがマニュアルというお化けに支配されており、マニュアルにないリクエストをすると、答えられなかったり、固まってしまったり、物理的に簡単にできることであっても断られたり、マニュアルから外れることは対応できなかったり、許されていなかったり。
そうですね。自由とは、意思の自由のことであります。日本人には意思が無いので、日本人には自由がありません。 日本人には意思はないが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) があります。ですから、意思の自由は、恣意の自由と間違えて受け取られることも多いです。それで、’自由のはき違え’ が起こります。これでは困るので、従来の ‘不自由を常と思えば不足なし’ という方針で行くことになります。
>日本の「おもてなし」は、本来のおもてなしと違い、どこか何か勘違いしています。
そうですね。独りよがり・勘違いが存在しますね。
>規定されてないことでもお客側の要望に可能な範囲でフレキシブルに応えるのが世界的スタンダードの本来のおもてなしなのですが、日本で言う「おもてなし」は、「相手はこれを欲しているだろう」というある意味での決め付けから始まり、先回りしてその決めつけに答えようとするものです。
そうですね。忖度 (推察) は、意思のない社会の習慣のようなものですね。
>お客から言われなくとも先に察して対応するという点では素晴らしいのですが、肝心の「お客が何を欲しているか」の需要をちゃんとわかっておらず、お客に需要を確かめることなく勝手に先回りして提供することが「おもてなし」とされています。
その通りですね。だから、「おもてなし」による日本のサービス業は世界に伝搬しないのでしょう。
>お茶が嫌いかもしれないのに、何が飲みたいか聞くことはなくお茶を出したり。
日本のサービスは、忖度 (推察) を働かせるものでね。自分勝手で、相手がいない。没個性的で、個人主義が無い。
>日本人ならそれでいいですが、外国人や海外だったら何が飲みたいか聞きますし。
外国人や海外には意思が存在します。日本人には意思が無い。それが、大きな違いになっていますね。 意思は未来時制の文章内容であり、日本語文法には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。
>実体験の例では、旅行をした時に旅館でのお出迎えで、着物と草履を履いた若女将さんがこちらの重いスーツケースを手で持ち上げました。
上意下達の励行ですね。
>私らは「持たなくて大丈夫ですよ、重いし、車輪があるし転がせますから」と若女将さんに言ったものの、それが上層部から指導された「おもてなし」のようで、草履と着物姿なのに、手でスーツケースを持ったまま引き下がりません。
‘頑張って’ というところですかね。
>しまいには「重くて大変だし、転ぶと危ないし、転んだらスーツケースが傷つくからやめて欲しい」と「お願い」をして、持ってもらうのを止めてもらいました。
リーズナブルな要求ですね。日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がないので、リーズナブルな対応は難しいです。
>これも、お客の需要(望むこと)を把握せず先回りしている例でした。(若女将さん自体にはまったく非はないけれど)
忖度 (推察) の社会ですね。
>日本への旅行と言えば、観光客への公衆Wifiもロクに整備されていない国が「おもてなし」とか、何かの冗談かと思います。
対話の無い、自分さえ良ければの社会ですね。 政治家は、未来社会の内容 (非現実) を国民に提言し、未来を先取りした政策を推進すべきですね。既成事実 (現実) の追認に追われる毎日であってはならないでしょう。
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