2017年09月16日(土) 

 

 

>・安倍総理夫妻が最近まで肩入れした森友学園に対する不当な国有地売却問題について、佐川前財務省局長はもんきり口調の国会答弁でしらを切り通した。

>その結果この7月の論考褒章人事で国税庁長官ポストを獲得した。(略)

>・一連の国会答弁で無理スジのしらを切るには相当の凝り固まった頭いる。

>人の人たる仁義信や志の欠片も見えない高級官僚が蔓延り過ぎではなかろうか、たぶん潜在思念を封印した偏差値70の受験脳(=暗記脳)の持ち主のなれの果てではなかろうか。

 

日本人には世界観が無い。それで、’あるべき姿’ の世界の内容が無い。大局的な個人判断を働かせることが出来ない。

世界観の世界は三つある。過去・現在・未来の三世界である。これらは ‘時制’ (tense) のある文章内容として表現されるので、それぞれの世界の内容が脳裏で入り乱れて混乱することは無い。

だが、時制は英文法には有っても日本語文法にはない。だから、日本人には世界観が無い

あるべき姿は、考えの内容であるから非現実である。現実の内容は人数に因らず一つであるが、非現実の内容は人の数ほどある。

英米人は自分の世界観を基準にして、現実の方策を決定する。だが、日本人には、世界観が無いので、師に教えを乞わなくてはならない。

日本人は、教えられた徳目を基準にして現実の方策を思案する。徳目は処世術実行の口実として利用される。

世界観には個人の自主性が反映されるが、徳目には自主性が無い。ちょうど、スポーツ選手が、所定のルールを守って競技するようなものである。枠内にはまって活躍して、世界を観ない。

 

>・試験問題は手の届かないところで作られ、不当な出題でもその問題を100%是としてひたすら解くだけとなる。

 

日本人の作る試験問題は、個人の世界の表現が要求されていませんね。個性に基づく判断を求めれば、答えは山ほどできる。だが、出題者は個性の価値を認めていない。

 

>難関大学を突破する頃には追求力も失せた暗記脳と化してしまい、与えられたことを疑問もなく解き続けることに順応し、権力に都合の良い男と成り下がってしまうのであろう。

 

処世術を駆使して争うわけですね。暗記は一種の模倣ですからね。個性に基づいた創造にはつながりませんね。

 

> 完璧なまでに受験脳=暗記脳と化すと、理不尽な方針もそうは思えずひたすら与えられた問題を解くだけの頭になってしまう。

 

あるべき姿が存在しないから、自分自身の判断基準が無い。’適当ではないが法律違反とは言えない’ という程度にまで品性が成り下がりますね。自主性のない人間の哀れな姿ですね。

 

>そして答案の採点に対しても何故と問うことなども思いも浮かばないのではなかろうか。

 

日本人には、リーズン (理性・理由・適当) が無い。だから、リーズナブルな答えを出す習慣が無い。また、だれからも期待されてもいない。ひたすら受け入れられることを願うばかりである。

 

>上の言うことは絶対、だから下に対しても自分の言うことは絶対として平気でしらをきり通すことができてしまうのではなかろうか。(略)

 

上位下達の一つ覚えで行く。簡単な事務処理になるのか。自己が無いので流される。

 

> 問題そのものがおかしくないか、評価に問題があるのではないか、常に問題を発掘して、どうする、何でと考えなければならない。

 

自分の頭で考える必要がありますね。我々は、’考える人’ にならなくてはなりません。

 

>熾烈な受験戦争を潜り抜けて追求力と志を失った者たちに国家や会社の舵取りを任せるわけにはいかない。(略)

 

その通りですね。’信なくば立たず’ ですね。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数524 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/09/16 15:27
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