>これまで受けてきた教育は、答えが既にある「暗記」であり、偏った歴史・社会認識に「洗脳」されてきた。>よって、なかなか「自分でモノを考えることができない」
そうですね。暗記に専念すると、考えがおろそかになりますね。考えのできない人が、与えられた内容に基づいて行動すると、筋金入りの人になりますかね。皇民化教育のような結果なのかな。
>「考える」とは「決める」ということ。
考えに迷っていては、考えの結論に達したことにはなりませんね。決めることは大切ですね。
>このあたりの認識を中心に、自分でモノを考えることを実践していきたい。
それが良いですね。自分でモノを考えられれば、自主独立した人間になれますね。
> ---------------------- >自分で考えるために、まずは「知識」と「思考」を区別しろ
知識は詰め込みが可能ですが、思考は詰め込みが出来ませんね。だが、思考の練習はできますね。
>リンク より抜粋 >・データを見た時に、そのデータから読み取れることを「考え」ず、知ってる知識を披露していないか?>・「知識」は思考の邪魔をする。>だから、自分が良く知っている業界のことについては、つい保守的な意見になりがち。>「出来ない理由を根拠づけるデータ」がぽんぽん出てくるようならちょっと注意が必要。
教養が考えを邪魔するようなものですか。現実直視が必要ですね。
>・情報を集めはじめる前に、まずは「意思決定のプロセス」をしっかり作っておく。
意思決定は、難しいですね。日本人には、意思が無い。意思は、未来時制の文章内容ですが、日本語文法には時制というものがないので、日本人には、意思が無い。だから、優柔不断・意志薄弱に見えます。答えを決めかねています。
>「意思決定のプロセス」がしっかりしていれば、あとは必要な情報をそれに放り込むだけ。
それは、そうですね。
>・「なんとなく関係がありそうだし、どこかで役立ちそうに思える情報を集めている会社員」は、「何となく使えそうな食材や調味料を買い物かごに入れ続ける主婦」と同じ。>・「考える」とは決めるということ。>つまり決断を伴わなければそれは「考えた」とは言えない。
答えを決めかねているのは、迷っている証拠ですね。優柔不断・意志薄弱ですか。
>・「知識(過去)」と「思考(未来)」を完全に区別する
知識は、記憶装置が出してくれますね。人工知能は、その知識に基づいて決断してくれるのですかね。
>・知識は過去のもの、思考は未来に向かうもの。
知識は、現在ある内容ですね。思考は、これから決める内容ですね。知識は頭の外 (現実) にあって、誰でも見ることが出来るものです。思考の内容は頭の中 (非現実) に在って、誰も見ることが出来ません。ですから、文章にして内容を表現する必要があります。そのために学生は、時制のある英語を使って英米の高等教育を受ける必要がありますね。 >---------------------- >(引用以上)
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