2018年08月20日(月) 

 

 

>日本では優秀とされる子は海外に行っても同様に優秀生として評価されるのか。>日本での優秀生は、知識の暗記力が優れている子や先生の言う事を忠実に守っている子。>自分の考えを発信しなくても紙ベースの成績が良ければ優秀生として扱われる。

 

自己発信が何よりも大切ですね。自己の内容を紙ベースにできると良いですね。

 

>そんな日本の優秀生も、海外に行ってしまえば、ただの人と同様の評価しかされないことも少なくない。

 

‘井の中の蛙 大海を知らず’ ですか。海外は恐ろしい。

 

>実際に日本では最上位に位置する子どもでも海外に行って挫折したという例は少なくない。

 

そうですね。だから、海外留学は、日本人学生に不人気なのでしょう。島国根性が募るばかりですね。

 

>先にも挙げたように、日本では記憶力(知識の暗記)が優れている生徒や、先生の言うことに忠実に従う生徒が優秀生として、ペーパー上で評価されることが多い。

 

受け売りの内容をペーパー上に書くことですね。記憶力は、電算機の方が上ですね。

 

>しかし、海外では、記憶力ももちろん必要ではあるが、それ以上に自分が得た知識を駆使して自らの意見を発信出来たり、先生に対しても様々な意見を言える生徒の方が注目され、優秀生として扱われることが多く日本とは全く逆の評価軸が存在している。

 

自分の意見をペーパー上に書くことが大切ですね。わが国も、そうしたら良いですね。

 

>教えられたことを単純に暗記するのではなく、自ら調べ、自ら学ぶことによって様々な知識を反芻し、自分の意見として発信する必要性を海外では求めている。

 

海外では、考える人を養成していますね。

 

>実際の授業でも「あなたはどう思いますか?」などの問いかけも多い。>日本ではそういった問いかけを見かける機会は少ない。>せいぜい「ここまでで分らない人は?」などの落ちこぼれのあぶり出しの質問が教師から出る程度。

 

護送船団方式に人気が集まりますね。

 

>だから日本の優秀生は海外では発信力の無い普通の人という評価になってしまう。

 

発信力のない人は、つまらない人ですね。存在感のない人です。

 

>この状況を鑑みれば、日本の最高峰である東大が世界からみれば46位・京大が74位に甘んじているのも合点がつく。

 

リーズナブルなのでしょうね。

 

>むしろ東大は46位に位置出来ているということに驚く程だ。

 

何しろ東大は、役人の養成所のようなところですからね。

 

>産業界で近年叫ばれている東大・京大生は使い物にならないというのもこういう状況なのだから至極当然というべきか。

 

そういう人もいるでしょう。

 

>東大出身者は確かに知識の量は多いかもしれないが、ビジネスの場で必要な「君ならどう思う?」「君の意見は?」という要求に対して自信を持って答えられる人間は少ないのではないだろうか。

 

天下の秀才は、山ほどいます。だが、考える人がいない。考える人に対する社会的な要求がまったくない。もし、その要求があるのなら、わが国に外国人を入れることができます。

ただ今の日本社会は、人手不足である。だが、頭脳不足であるという話は聞いたことがない。我々日本人には、頭脳の代わりに人手を使う習慣があります。だから、常に過当競争に悩まされています。

 

>今の日本の優秀生では日本の社会は持たなくなる。

 

そうですね。無哲学・能天気な人間では、どうしようもないですね。

 

>そうさせないためにも日本の教育に革命をもたらし、即戦力として活躍出来る人材の育成が急務となるのではないだろうか。

 

それにしても、他力本願・神頼みですね。具体的な育成の方法が想定されていない。

 

>現状の画一的な教育で、同じ様な人材を作るシステムでは限界が来ている。>改めて日本式の暗記力だけの優秀生ではなく、自ら考え、世の中の為に何が出来るのか?を本当に考えられる大人に育ってもらえるような教育システムを確立する必要がある。

 

そうですね。あなたは、そのような教育システムの具体案を想定できますか。

話の内容には、現実のものと非現実 (考え) のものとがありますね。

現実の内容は、 ‘日本の優秀生’ の話で、非現実の内容は、‘新しい教育システム’ の話でしょう。

我々日本人の問題は、非現実の内容を詳しく語ることができないことにあるのではないでしょうか。

非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それが ‘教育革命’ ということになります。教育革命が幻に終わるのは、非現実の内容が我々の頭の中で文章に構成できないからだと思います。

日本人の考え方で行くと、現実の内容は見ることができるもので、 ‘本当’ のことです。非現実の内容は、見ることのできないもので、 ‘嘘’ になります。

嘘は、我々の脳裏で抑制されて、確たる展開を見せることはありません。ですから、わが国にはビジョンのない人たちばかりが存在することになります。これが、現実に関する核心的問題であると考えられます。

英語には時制 (tense) というものがあって、非現実の内容を文章にすることができます。すべての考え (非現実) は文章になります。文章にならないものは考えではありません。日本語文法には、時制がないので、こうした考え方が通用しません。それが問題であると、私は考えております。

我々日本人は日本語とともに英語をも学んで、考え (非現実) の内容をも、文章内容として表現できるように努力すれば、幻の内容は脳裏から消滅することでしょう。

 

 

 

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閲覧数872 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/20 23:50
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