2021年03月26日(金) 

 

 

>セキュラリズム 刹那の現世主義 後編  [筆者 尾崎文美 おざきあやみ]  >2014/03/15 03:17 よりわけ: 世界 かぎ: 近代思想天啓教育

>「セキュラリズム―現世主義」というものについて、今回はその後編である。[secularism: 教育宗教分離論] 

>端的にいえばこの世の事象の価値判断から「信仰」に由来する精神を排除し、信仰は信仰で別の場所に安置するが互いに決して干渉しないという主義主張である。 

 

現世主義は、政 (治) と (宗) 教を分離することになりますね。政府指導による宗教戦争はこれにより避けられるでしょうね。      

 

>これは世界の殆どの国で政策として執られていること、その上でいちばん影響を持つのが「教育」の分野であること、そしてセキュラリズムは世代が進むに連れ教育によって濃縮されてゆくことを前編で述べた。>忘れてはならないのは、セキュラリズムは決して「無神論」でないことである。>神は存在するとした上で「神との別居」そして「神の陳腐化」をその目的とする。   

 

そうですね。 信仰の自由がありますね。   

 

>厄介なことにセキュラリズムは自覚症状のない病によく似ている。 >「あなたは病んでいる」と説いたとしても当人が認めないことには治療の余地がなく、しかも当人は至って元気に生きてゆける。 >しかしそれは社会全体を確実に蝕み壊死へと導く。  

 

不道徳の社会の出現になりますね。    

 

>ではその過程を書いてみるとする。 >セキュラリズムが浸透した社会とそこに生きる人々はどうなるか。 >第一に、理論で整理された判断にのみ理解を示す。  

 

そうですね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)     

 

>数式や統計に表すことができ、さらにそこから予測可能な事象つまり「目に見えるもの」はその存在と価値を認めることができるが、そうでないものには口先で敬意を表することはあっても認めはせず、精神論、感情論などと名づけて価値判断の対象から外す。

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分固有の非現実の内容は語られることはない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人とアニマルが共有する非言語の世界である。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。これは人間だけが持つ言語の世界である。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。優秀な人は「純粋によく観察する」が、凡人は「期待したもの」しか見ようとしない。きわめて恣意 (私意・我儘・身勝手) 的な態度である。’心ここにあらざれば視れども見えず’ と言われている。        

 

>第二に、凡そ数量による裏付けがあるものを価値として認め信用することができる。 >物を価格で評価し、職業を収入でえらび、学歴とは獲得した点数の総量、学校は偏差値と倍率、刑罰は量、保障は額、世相を指数化し、企業を実績で格付けし、多くの著作が流通していれば知識人と認め、多数の受賞があれば権威と呼び、多額の寄付があれば篤志家となる。 >得票が多ければ与党になる。 

>つまり、価値を比較検討するためには数量で具体化することが必要となった。>言い方を変えれば数値に遮られ内容を見なくなった。

 

そうですね。日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断を各人について行うと人間の序列ができる。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるいうのも云うのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら ‘序列なきところに礼儀なし’ になる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家にまでつながっている。 (2/6に続く) 

 

 

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閲覧数366 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/03/26 01:36
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