2021年08月21日(土) 

 

>369780        日本の教育の問題点はどこにあるのか  >前野将克 ( 23 会社員 )           21/08/20 PM07

>リンクより転載

>日本の学校教育システムなどに疑問を抱いている方、海外へ飛び出して世界を舞台に活躍したい、世界で学びたいと考えている方は是非読んでみてください。>冒頭にも書きましたが、日本の教育は150年もの間、変化をしていないというのは本当のようです。

 

そうですね。’何事もお変わりのないことは良いことです’ と考えられていますね。   

 

>日本は戦前戦後、海外のさまざまな文化を取り入れて発展を遂げてきました。 >そんな中でも150年も変わらない日本の教育システムがあります。 

 

日本語が変わらないから日本人は変わらない。言語は伝達の為の手段であるばかりでなく、考えるための手段ですからね。国語が変わらなければ考え方は根本的には変わらない。    

 

>■日本の教育の問題点その①「集団&受け身スタイル」  >日本では集団教育や一方的な講義スタイルの授業が特徴的です。   

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)      

 

>先生の授業をクラスの生徒全員で聞き、学期末にテストを実施し、その結果で成績を決めるというスタンスです。 

 

団体による作業ですね。   

 

>諸外国の教育方法とは全く異なる、常に生徒が受け身の姿勢となる教育です。 

 

意思の無い人間は受け身の姿勢をとりますね。    

 

>授業は生徒が分からなくても勝手に進み、反対に分かっていても飛ばすことはできません。

 

わが国の文化には形式があって内容がない。内容には個人がかかわるので常に日本人社会では省略されています。      

 

>子供一人一人の能力を伸ばすよりも集団で足並みを揃えることに重点が置かれています。

 

そうですね。わが国には個人主義がない。ですから、常に ’人の振り見て我がふり直せ’ ですね。       

 

>このような集団&受け身スタイルの教育では個人個人の得意な分野や眠っている才能を開花させたり伸ばしたりすることが難しいと思われます。  

 

そうですね。日本人には自己実現が難しい。    

 

■日本の教育の問題点その②「偏差値重視の勉強」  >「入試に合格するため」または「偏差値が高い学校に入るため」の教育がまさしく日本スタイルです。 >偏差値や有名大学のブランドばかりを気にして、そこが最終目標のゴールと認識しており、そのゴールを目指すための勉強が日本では実施されています。

 

そうですね。日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>日本の親御さんや先生の多くは子供の志望校を選ぶ時も、偏差値を基準として判断し、偏差値重視で決定します。

 

そうですね。偏差値は序列社会に適応するための便利な方法ですね。   

 

>その子供の個性を見るのではなく、偏差値を基準として学校選びをするという現状です。 

 

序列社会は人間序列を形成するために個性無視を基本としていますから個人主義は浸透しませんね。   

 

>試験で成績や点数の高かった生徒が「優秀なすばらしい生徒」と考えられているため、試験で高い点数を取るための教育を保護者も求めているのです。

 

そうですね。それは序列メンタリィティのなせる業ですね。      

 

>このような教育スタイルでは子供の個性が重視されず、試験のため、偏差値のための勉強という、本来の「自ら学ぶ」という勉強の姿勢からはかけ離れているという意見もあります。  

 

そうですね。

‘信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがよい。’  (フランシス・ベーコン)      

‘読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。’  (アルトゥル・ショーペンハウエル)     

 

>■日本の教育の問題点その③「暗記学習に重点」 >日本の教育では「記憶する学習」=「暗記学習」に重点を置いているため、勉強内容は暗記することがほとんどで、子供が自ら考えたり疑問に思ったり、提案したりする能力が伸びないと言われています。

 

暗記の内容には常に一つの正解があります。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含んでない文章は、全て正しい考えを表している。矛盾を含んでいる考えも、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。矛盾を発見し取り除くためには議論・対話が有効である。議論・対話を普及させよう。そして、正しい考え方を普及させよう。考えの内容は、人によりまちまちである。だから、正解は一つではない。幾らでもあるから、人間は個性的になる。考えのない人達は没個性的である。だから、自己実現が難しい。 

 

>暗記する項目の背景や経緯などはあまり触れることは無く、ただそれを大量に覚えれば良いというスタンスです。

 

そうですね。常にがり勉・丸暗記のスタイルですね。   

 

>英語に関しても同じことが言えて、スピーキングやリスニングよりも文法から学ぶことに重点を置いています。

 

文章を理解する時には文法が大切ですね。   

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実を語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。     

 

>日本史についても同じです。>「〇年〇月に○○の乱」が起こったという事実を覚えることが先行し、その背景や何故そのような事になったのか、それで日本はどう変わったのか、などはほとんど勉強しません。

 

わが国においては公の書物の内容だけが尊重されていて、個人の意見に価値があるとは考えられていませんね。書物の内容には唯一の正解がある。個人の意見には多数の正解がある。       

 

>日本の教育ではテストの点数を上げることが一番重要とされているので、テストのために全て丸暗記してテストに備えるという学習方法なのです。  

 

点数は序列判断をするための便利な手段ですね。    

 

>これではテストが終われば忘れてしまうことが多く、社会人になった時には学校で学習した事はほとんど覚えていない(役に立たない)という結果になってしまうのです。  

 

全ての努力は方便の為ですね。日本人には処世術 (損得勘定) があって哲学 (あるべき姿) がない。    

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

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閲覧数281 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/08/21 02:41
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