タリバンが アフガニスタンを制圧したのが 8月15日 自衛隊機が 日本人 一人 を救出したのが 8月27日 この間 日本は 一体何をしていたのだろうか、、、???? 状況を精査してみよう。 ① 外務省は 8月にはいると アフガン人協力者を含め 500人の救出計画を立てた。 18日に 外国民間チャーター機にて救出予定だったが 16日に制圧された為に この計画は 没 に 疑問① なぜ ”外国” 民間チャーター機なの、、??? ② 外務省は、日本人の救出を優先し 大使館員 12名(全員)は 16日には 空港へ退避 17日には 英軍機により ドバイに退避 疑問② なぜ 大使館員は、いち早く退避するの、、、??? ③ 外務省は 協力者救出を欧米各国に依頼したが不発 20日朝 防衛省に自衛隊派遣を要請 防衛省は1日で計画をまとめ 21日派遣を決断 22日管総理の了承を得て 23日に派遣命令 自衛隊機は25日アフガン カブール空港に到着 27日までの間 隣国パキスタン間を5回往復 疑問③ なぜ 協力者救出を 最初から 日本の責任で計画しないの、、、??? ④ 外務省は 2回目の救出計画を26日実行し 25台のバスにて カブール空港を目指したが 26日 自爆テロが発生 救出計画が 没 に 疑問④ なぜ、自衛隊機到着と同時の 救出計画でないの、、、??? ⑤ 米国の 27日中のカブール空港 退避勧告により 自衛隊機は、日本人 一人を乗せて 27日 に退避 31日 任務終了命令 疑問⑤ なぜ 自衛隊法84条 4項は 当該輸送を”安全に実施する”ことができると 認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる と定められているが リスクがあるから自衛隊機を 派遣するのではないの、、、、??? 結果的に 多くの アフガン人協力者を 置き去りにすることとなった。 国際社会における常識と これで良しとする日本の常識が あまりにかけ離れている 寂しいかぎりだ、、、、。。。。 |