「ツタンカーメン」という、初めて名前を耳にする豆を頂いたので、豆御飯にした。 炊き立ての5月3日1930ごろの夕食時には普通の白い豆御飯だったが、保温して5月4日0905ごろの朝食時には赤飯のような真っ赤な豆御飯になっていた。安倍晴明ゆかりの「清明塚」を思い出した。 尚、半「おこわ」である。(粳米半分、糯米半分) <逝くものは斯くのごときか 磯津千由紀のプライベートサイト:民話劇、民話の語り(掛川歴史教室)> http://www.isozu.name/minwageki/index.html (ページ内の「晴明塚物語 2006年11月3日 掛川市文化協会 第18回 舞台芸術祭」をご覧ください) |