2022年06月04日(土) 

 

 

>東洋経済オンライン   >「プーチンの本性」を見破れなかった西側の誤算 歴史家が恐れる世界が「大惨事」へと至る筋書き   > ニーアル・ファーガソン 2022/06/02 08:30  

 (略)  

>2月24日に始まったロシアによるウクライナへの侵攻。 >長期化する戦争はどこへ向かうのだろうか?  >「いま、もっともすぐれた知性」と目される歴史家のニーアル・ファーガソン氏は、この戦争をどう分析するのか?  > 今回、5月に邦訳が刊行された新著『大惨事(カタストロフィ)の人類史』に収録された「日本語版刊行に寄せて」(2022年3月執筆)より、一部抜粋・編集の上、前半と後半の2回に分けてお届けする。  

 

それは興味ある話ですね。    

 

>歴史を予測することの難しさ  >歴史を予測するのは、なんとも難しい。  >未来を占うことを可能にする、すっきりした歴史の「周期」などない。  

 

そうですね。四季の移り変わりなどとは違いますね。    

 

>それは、ほとんどの惨事が思いがけない所から突然やって来るからだ。 >ハリケーンや自動車事故なら、少なくとも発生確率を付与できるが、それとは違い、最大級の惨事(パンデミックと戦争)は、冪乗則に従う分布かランダムな分布を示す。 >そうした惨事は、不確実性の領域、あるいは、ナシーム・ニコラス・タレブが著書『ブラック・スワン』で「エクストリミスタン(果ての国)」と呼ぶ領域に属している。  >津波のようなものであって、潮流ではない。 >しかも、惨事は予測可能な順序では起こらない。 >私に言えるのは、同じ惨事は二度続けて起こらない傾向にあるということぐらいのものだ。   

 

まったく困ったものですね。   

 

>今回は、疫病(新型コロナのパンデミック)に続いて戦争(ロシアのウクライナ侵攻)が起こった。  >1918年には、戦争(第1次世界大戦)が起きているところに疫病(スペイン風邪)が続いた。 >百年戦争は、黒死病がイングランドを襲う8年前に始まっている。  

 

疫病と戦争は相性が良いようですね。   

 

>当然ながら、歴史の中では万事がランダムであるわけではない。  >ロシアによるウクライナの侵略は、年頭には予見するのは難しくなかった。  >ロシア人とウクライナ人は単一の民族である、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)あるいは欧州連合(EU)に加わろうとすればレッドラインを踏み越えたことになる、とロシアのウラジーミル・プーチン大統領が主張したとき、その言葉を文字どおりに、かつ真剣に受け止め、経済制裁を行うぞと脅しても彼を思いとどまらせることはできないと気づきさえすればよかったのだから。   

 

民族問題は根が深いですね。   

 

>では、現時点(2022年3月)で予見できないのは何かと言えば、それは、この戦争がどういうかたちで終わりを迎えるか、言い換えれば、これがけっきょくどれほど大きな惨事になるか、だ。  

 

そうですね。   

 

>その答えがわかっていると、固く信じている人々もいる。 >ドイツではオラフ・ショルツ首相が「Zeitenwende(文字どおりの意味は「時代の転換」)」に言及した。 >「今後の世界は、もはや従来の世界と同じではない」と彼は断じた。 >西側が抱き続けた誤ったプーチン像  >ある明白な意味で、彼は紛れもなく正しい。  >ドイツは1960年代後半のヴィリー・ブラント首相による「東方政策(オストポリティーク)」を手始めに、私の人生の大半を通じて、ロシアに対して「貿易を介しての変化(Wandel durch Handel)」という政策を実行してきた。   

 

‘衣食足りて礼節を知る’ という道筋ですね。    

 

>ショルツの前任者であるアンゲラ・メルケルは、ヨーロッパをロシアの天然ガスと石油に依存させるのは理に適っているとさえ考えていた。  >だが、そのいっさいが過去のものとなった。  

 

そうですね。相互依存は成り立ちませんでしたね。プーチン像はロシア人像そのものでしょうね。   

‘だが、さらに重要なのはロシア人の性格や制度に歴史が及ぼしている根深い影響である。つまり中央集権、序列に対する盲目的崇拝、人々の素朴な外国人嫌い、疎外された知識人のとるにたりないあら探し、母なるロシアに対するロシア人の強い愛着、最高権力者に対する大衆の習慣的従順さ、支配者と被支配者の間に横たわる深い溝を無批判に受け入れることなどである。’  <<ロシア人>> (ヘンドリック・スミス)   

 

>プーチンはずっと以前から人殺しの戦争屋であり、彼による主権国家の侵略は2012年以来、これで四度目だ。   

 

ロシア人は異民族の蒙古人により250年間も鍛えられていますからね。ノンポリ・政治音痴で強い指導者を望んでいますね。       

 

>それにもかかわらず、彼が起こしたこれまでの戦争は今回のものよりも規模が小さかったため、どういうわけか、彼は西側諸国が取引を行うことができる相手だという妄想がしぶとく生き延びるのを許してしまった。   

 

思慮の深い人は ‘現実を直視してよく観察して考える’ が、先入観念に囚われている人は ‘自分の期待したもの’ しか耳を傾けようとしない。   

 

>だが、包囲されたマリウポリに集団墓地が設けられ、ハルキウ(ハリコフ)市街がおおかた瓦礫と化し、何百万もの避難民が西に向かって脱出している現実を前にしては、プーチンが人殺しの戦争屋であることは、もはや否定のしようがない。   

 

脳裏にお花畑を持っている人も、これでやっと目を覚ましましたね。    

 

>ウクライナで繰り広げられている光景には、みな覚えがあるはずだ。 >色を消し去れば、第2次世界大戦中の東ヨーロッパの白黒写真と見分けがつかないことだろう。  >フランスの思想家で私の勇ましい友人のベルナール=アンリ・レヴィがオデーサ(オデッサ)に向かう途中で書いたとおり、これは「悲惨な20世紀の再来」だ。   

 

‘歴史は繰り返す’ ですかね。  

 

>たしかにこれは、戦争と戦争の合間の終わりのように感じられる。 >ただし、今回は2つの世界大戦ではなく2つの冷戦の合間ではあるが。   

 

冷戦は経済封鎖ですね。   

 

>ロシアという粗暴なクマの再来――そして、アメリカという老い衰えつつあるワシの、お世辞にも感心できない対応――は、ヨーロッパの平和はアメリカ人がお金を払い、ロシアのガスで調理した、無料の食事であるという幻想を粉々に打ち砕いた。   

 

無料程高いものはない。

 

>1989年に発表した「歴史の終わり?」という論文で一躍有名になったアメリカの政治学者フランシス・フクヤマは、ロシアの「完全な」敗北を自信たっぷりに予測して私を驚かせた。 >「ロシア軍の戦線崩壊は突然、壊滅的なかたちで起こりうる」とフクヤマは書いている。  >「軍が敗北を喫したら、プーチンは生き延びられない」。  >しかも、「ロシアが敗れれば、『自由の新生』が可能になり、グローバルな民主主義の凋落状態にまつわる失意から私たちを救い出してくれる。   

 

ロシアが敗れれば今度は中国と戦わなくてはなりませんね。    

 

>1989年の精神は生き続けるのだ」。 >1989年に目立っていた2つのできごと  >彼が正しいことを心から願うものの、私はそこまで楽観していない。  

 

そうですね。事柄はそう簡単ではないですね。   

 

>1989年のことは鮮明に覚えている。 >あの年の夏の大半をベルリンで過ごしたからだ。 >あのとき目立っていたことが2つあった。 >第1に、あの年に中央ヨーロッパと東ヨーロッパを席巻した革命のうねりは並外れて平和的だった。 >3年後になって初めてユーゴスラヴィアで、共産主義の終焉が戦争を引き起こしただけだ。   

 

平和は誰もが願うことですね。だが、その願いはとかく他力本願・神頼みになりやすい。’治に居て乱を忘れず’ の心構えの方が身のためになりますね。  

 

>第2に、そのような転機は中国にはついに訪れなかった。  >あの国では、1989年は天安門広場での大虐殺の年だったのだが、今になって振り返れば、中国で共産主義が生き延びたのは、エルベ川以東で共産主義が崩壊したことよりも重大な歴史的現象だったと言える。   

 

天安門広場での大虐殺は重大ですね。中国の指導者はしぶといですね。

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

>今日私がフクヤマよりも悲観的なのは、ウクライナの人々がじつに勇敢に祖国を防衛していることに疑問の余地はないとはいえ、彼らが持ちこたえる力が過大評価されているかもしれないことを恐れるからだ。   

 

そうですね。嬉しいことはとかく過大評価されがちですからね。    

 

>NATOの加盟国が携行式地対空ミサイルのスティンガーや携行式対戦車ミサイルのジャベリンをポーランドから提供しようと必死に努力しているものの、ウクライナの人々は巡航ミサイルや高高度爆撃機から自らを守るような高性能の防衛兵器を欠いている。   

 

残念ながら彼らは軍事大国の真似はさせてもらえませんね。釈迦如来がそれを許さない。     

 

>たしかに彼らは、侵略者たちに驚くほど甚大な人的損害を与えている――侵攻開始から3週間のロシア軍死傷者数は、アメリカ軍がイラク占領の全期間を通じて出した死傷者数に匹敵する。 >たしかにプーチンが麾下の将軍たちに設定した当初の目標、すなわちキーウ(キエフ)を陥落させ、ウクライナ政府を転覆することは、今や達成不能なのが明らかだ。   

 

明らかにプーチンの失敗ですね。   

 

>だがこの野蛮な戦争を継続するプーチンの意欲を誰一人として過小評価するべきではない。 >ウクライナの南部と東部のかなりの範囲を掌握し、ロシアの一般大衆には勝利のように見せかけることが、ひょっとしたら可能な程度の譲歩を要求できるまで、彼には矛を収める気がないだろう。     

 

そうですね。雨垂れ石を穿つ。  

 

>経済制裁の有効性   >ロシアに科された経済制裁が、その厳しさでは前例がないかのように世間では言われており、この措置を立策したアメリカ人の1人によると、地震の放出エネルギー指標であるマグニチュードを制裁に当てはめれば、最大を10として、8に当たるそうだ。 >私は同意できない。 >ロシア最大の銀行は、完全な制裁は受けていない。 >そして、これが肝心なのだが、西側諸国はロシアの化石燃料の購入を停止していない。 >化石燃料の販売で、ロシアには毎日およそ10億ドルが転がり込む。  

 

そうですね。経済制裁には抜け道がありますね。  

 

>また、プーチンは今にも失脚するとのことだが、西側諸国は経済制裁によって北朝鮮やキューバ、イラン、ベネズエラで政権交代が起こるのを何年待ち続けてきたことだろう。  

 

これらの諸国にブルータス (裏切者) はいないのかな。   

 

>ロシアのエリート層がプーチンの戦争に幻滅し、側近たちがクーデターを起こして現に彼を倒すことはありうる。>だが、プーチンが自らの軍事的失敗や経済的な圧力、アメリカの正副大統領が彼のことをためらいなく戦争犯罪人呼ばわりするという(私に言わせれば無分別な)行為に追い立てられるようにして過激な行動に走るという、同じぐらいありそうな筋書きも考えられる。  

 

それは極めて危険ですね。ロシアの歴史に暴君は珍しくないですからね。      

 

>(翻訳:柴田裕之、後半へ続く)   

 

 

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閲覧数180 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/06/04 17:10
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