2023年02月11日(土) 

 

>現代ビジネス   >「黒船」が日本にきたとき、実は「ペリー」もまた「驚愕」していた…彼が「日本人」について語った「驚くべき内容」   >播田 安弘 の意見 - 4 時間前   

(略)   

>本記事は播田 安弘『日本史サイエンス〈弐〉 邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。   

>第二の大航海時代の到来   

>16世紀の世界を一変させた大航海時代に、西欧列強に対し、うかつに手を出すと痛い目にあうことを見せつけて植民地化を免れた「ジパング」こと日本は、やがて港のほとんどをみずから閉ざします。   

>豊臣政権を倒して日本の支配者となった徳川家康が開いた江戸幕府が、ごく一部の国を除いて出入りを禁じる鎖国政策を採ったからです。   

>そして日本は、250年にもおよぶ泰平の眠りにつきます。   

>一国の平和な状態がこれほど長く続いたことは、世界にもほとんど例がありません。   

 

そうですね。今の国連も ‘天領とか・隠密とか・入り鉄砲に出女’ などの徳川家康のやり方を使ったら世界平和が来るかもしれませんね。今の国連には権威主義が無く実行力もないか。   

 

>内政が安定していたのもさることながら、外からの侵攻がなかったことがその大きな要因でしょう。  

 

それは島国の利点ですね。島国根性も排外の役割を果たしているのでしょうね。       

 

>化学反応や熟成、発酵には長く安定した時間が必要です。   

>その時間を与えられた江戸時代の日本では、さまざまなものが育ちました。   

>それらを総称して「文化」というなら、江戸時代の日本の文化は世界でもかなり高い水準にあったことが、近年の研究でわかってきています。  

 

そうですね。SDGs (持続可能な開発目標) を目指していましたね。   

 

>泰平の眠りから起こされた日本を救ったのは結局、それらの文化だったのではないでしょうか。   

>この間に世界では、スペインが没落し、かわって英国が7つの海を支配するといわれた巨大な海洋帝国を築いていました。   

>世界の植民地から英国が収奪した富は、莫大な量にのぼりました。   

 

そうですね。英国は海賊国家でしたね。   

 

>大英博物館やルーブル美術館の展示品を見れば、いかに世界から多くの宝物が集まったかがわかります。   

>エジプトなどは現在、持ち去られた出土品の返還を求める交渉をしています。   

>富が蓄積されると、国内では社会や経済が発展し、人口が増え、物品の需要が増大します。   

>18世紀の英国ではとくに、インドの綿製品の人気が高まりました。   

>そこで需要に追いつくため生産力を上げようと、それまでの手織りの紡績機に代わって、水力を利用した機械紡績機が開発されました。   

>それでも足りず、カートライトが蒸気で駆動する機械紡績機を開発します。   

>そして1769年、ワットが従来の蒸気式機械から復水器(コンデンサー)を独立させることでエネルギー効率を飛躍的に向上させた、本格的な蒸気機関を発明します。   

>ワット式蒸気機関は燃料を75%も節約することができました。   

>蒸気機関は鉱山の排水ポンプに使われ、さらに汽車にも使用されて、生産や移動にかかる負担を劇的に減らしました。   

>その結果、企業の収益は急伸長し、各種の大工場が建設され、たくさんの労働者が働き、労働者たちとその家族が住む家が立ち並び、英国各地に新しい工業都市が生まれました。   

>こうして世界で初めて起こった蒸気機関による社会変革が「産業革命」ですが、その原動力は、海洋支配によって得た多くの植民地からの富だったのです。  

 

そうですね。   

 

>英国で起こった革命の波は、やがて当時の先進国だったフランス、ドイツ、米国にもおよびます。   

>同様に工業を発展させたこれらの国も、安い原料を輸入し、大量生産した製品を輸出できる貿易の相手を求めて、次々と海に出ていきました。   

>それは産業革命による第二の大航海時代の到来ともいえました。   

>しかしその貿易の実態は、軍艦と大砲による強力な軍事力を背景に、アフリカ、アジア、アラブ、南米諸国などの技術力が未発達な国々を服従させるもので、「砲艦外交」とも呼ばれています。   

>19世紀になると、欧米の列強各国の矛先は東南アジアに向かいます。   

>1842年には、英国が清(当時の中国)との阿片戦争に勝利して、租借地を獲得しました。   

>インド、ビルマ(現ミャンマー)、シャム、タイも英国領または支配地域となり、インドシナ地域はフランス領、フィリピンは米国領、清は約20%が英国、フランス、ロシア、ドイツの領地あるいは支配地域となりました。   

>日本を除くアジア諸国のほとんどが支配下におかれていったのです。   

>ペリーが驚いた日本人の技術力   

>こうした世界の動きから隔絶されたかのような長い眠りについていた日本に、ついにその波が到達したのは、1853年のことでした。   

>ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が、江戸湾入り口の浦賀沖(現在の神奈川県横須賀市浦賀)に来航したのです。   

>それまで交流のあった外国といえばおもには日本海側の朝鮮や中国であった日本にとって、反対側の太平洋から突如、異国の船が出現したことは衝撃的でした。   

>日本の近代化はこのとき始まったといってもよいでしょう。   

>ペリーには、長い歴史をもつ閉ざされた神秘の国の扉を最初に開けるのは、新興国の米国でありたいという強い意識があったようです。   

>日本についての資料を読み込んで研究した彼は、幕府を開国させるには毅然とした態度で圧力をかけることが必要であると確信し、多数の新式大砲を備え、防水・腐食のためのタールを黒々と塗った「サスケハナ」を旗艦とする大型蒸気船をそろえて視覚的にも威圧感を強めたのです。   

>この「黒船」作戦が奏功し、日本は200年以上も閉ざしていた港を開かざるをえませんでした。   

>ただし、この初めての日米両国の接触で驚いたのは日本人ばかりではなかったようです。   

>ペリーの日本来航時のエピソードをまとめた『日本遠征関連逸話集』(在NY日本国総領事館のウェブサイト)によれば、ペリーは寺子屋や藩校などで学ぶ日本人の教育水準の高さや、職人の腕のよさ、礼節を尊ぶ国民性に感嘆しています。   

>そして中国や他の東洋諸国では女性が夫の従属物のように扱われ無知の中に放置されているのに対し、日本女性は夫の伴侶であり、教育や品位があるとし、既婚女性のお歯黒は奇異ではあるが一夫多妻制もない日本は、道徳や規範において東洋諸国のなかで異質であると、好感を表しています。   

>とくにペリーは日本人が潜在的にもっている技術力の高さを見いだし、こう述べています。   

>「日本人は非常な精巧さと緻密さを示している。   

 

日本人は目先・手先の内容に集中する力がありますからね。   

 

>そして彼等の道具の粗末さ、機械に対する知識の不完全さを考慮するとき、彼等の手工業上の技術の完全なことはすばらしいもののようである。   

>日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず熟練して精通しており、国民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人は最も成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。   

 

細工物で生きて行ければ良いですがね。日本人には実学 (技術) があって、哲学 (考え) がない。これは人間として半人前ではないでしょうか。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.          

 

>他の国民の物質的進歩の成果を学ぶ彼等の好奇心、それらを自らの使用にあてる敏速さによって、日本国民と他国民との交通から孤立させている政府の排外政策の程度が緩和されるならば、彼等はまもなく最も発達した国々の水準まで達するだろう。   

 

そうですね。哲学がないだけに日本人は実学に集中しますね。物質的進歩はあっても、精神的進歩は見られませんね。それが日本人の孤立の原因になりますね。日本人には意思が無いので交渉相手にすることが難しい。フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)

 

>日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう」   

>この言葉がやがて、現実のものとなっていくのです。   

 

そうですね。しかし、日本人の無哲学・能天気が日本国の致命傷になるでしょうね。 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)        

 

(略)

 

 

 

 

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