>日本語には多数の外来語があるのに、日本人が英語を話せないのはなぜか―華字メディア >Record China によるストーリー • 6 時間前
日本語の中にある沢山のカタカナ外国語は完全な日本語になっていて外国語会話には役立ちませんね。
>華字メディアの日本華僑報は7日、日本の小学校における英語教育について論じる記事を掲載した。 >記事は、日本では2020年に小学3、4年生で「外国語活動」が必修化されたほか、東京都内の一部の学校では小学1年生から英語に関する学習プログラムが行われるなど、英語教育の低年齢化が進んできたと説明した。 >一方で、朝日新聞デジタルの2月15日付の記事を引用しつつ、「専門家の研究では、英語学習の開始が早ければ早いほど効果があるわけではないことが示されている」と指摘。 >日本のように日常的に英語が使われない環境においては、週に1、2回の授業で英語を話せるようになるというのは幻想だとの見方も出ているとした。 >その上で、「日本では明治維新後、脱亜入欧により西洋文化を深く学び、英語を話せることはカッコいいことの一つとされてきた。 >中国では、中国語に英語が混じる人は気取っている感じがして嫌われることが多いが、これと同じように日本人が話す日本語を見ることはできない。 >現代の日本語には多くの英語由来の外来語が存在しているが、日本人は特有のなまり(カタカナ英語)で話すことによって(日本語として)自然になるからだ」と指摘した。
そうですね。日本人はカタカナ英語を英語になっていると思い込んでいるようですね。ですから、本当の英語を覚えようとしない。カタカナ英語では英語の綴り方は完全に無視されていますね。
>ただ、英語があふれる日本社会にあっても英語の勉強を好む人が多いかと言えばそうではないとし、2022年に行われた国際語学教育機関「EFエデュケーション・ファースト」による調査の結果、日本人の英語力はアジア24カ国・地域中14位で、5位の韓国、8位の中国を大きく下回ったと紹介。
残念ながら我が国は教育立国にはなれませんね。
>「英語は大切と考えながらもうまく習得できないという愛憎は、多くの中国人も理解できるところだろう」とした。 >そして、英語の習得に苦労する理由として、日本では「受験のための教育になっており、読み書きに偏って会話力が向上しない」
そうですね。英語は一種の暗記物ですね。筆記試験で採点されるためのものですね。
>「英語試験では文法や単語を少し間違えただけで減点されるため、生徒は口にすることを恐れてしまう」
そうですね。減点方式で採点すると採点がしやすくなりますね。伝達以前の問題ですね。
>「教師が日本語に翻訳して意味を教えてしまうため実生活で生かすことができなくなっている(英語のまま理解すべき)」
そうですね。英文は必ず日本語に訳させますね。だから、わが国では日本人の英語教師がどうしても必要になりますね。
>「単語や文法の“丸暗記”に時間を割きすぎている」
暗記物は採点物に通じていますね。試験科目の花形ですね。単なる入試の通過手段ですね。
>「発音練習が少なすぎる」
日本語の発音環境では、英語の発音はまず無理ですね。
>「英語教師自身の英語レベルが高くない」
教師も生徒も日本人は習得下手ですからね。双方が日本語にしがみついていますね。
>「外国人講師を採用している学校が相対的に少ない」
ALT (Assistant Language Teacher)の数は各高校に一人ずつ程度ですね。まことにおざなりですね。
>「実際に日常生活の中で英語を使う機会が少ない」の八つが指摘されていることを説明。 >一つ目と八つ目は中国でも同様の状況にあるとしている。 >記事は、「日本政府は英語教育を強化することで日本の国際化を進めたい考えだが、内部競争の過熱によって英語嫌いの子どもが増えてしまうのではないかとの懸念も少なくない」としたほか、「受験対策で子どもを英語教室に通わせる親も多いが、こうした経済的負担が各家庭の教育格差を悪化させるとの見方も出ている」と伝えた。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
>(翻訳・編集/北田)
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