2023年03月28日(火) 

 

>現代ビジネス   >「天皇をつかえ」…終戦のときイギリスの「チャーチル」が、アメリカに伝えた「意外なメッセージ」   >矢部 宏治 の意見 • 3 時間前   

>日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。   

>そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。   

>最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。   

>*本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。   

>重要な文書は、最初すべて英語で作成する   

>本書でいま、私がお伝えしているような大きな日本の歪みについて、多くの方が関心を持つようになったきっかけは、二〇一二年にベストセラーとなった孫崎享氏の『戦後史の正体』だったかもしれません。   

>外務省の国際情報局長という、インテリジェンス部門のトップを務めた孫崎氏は、同書の第一章を、次のような少し意外な問いかけから始めています。   

>「日本はいつ、第二次大戦を終えたのでしょう」   

>こう聞くと、ほとんどの人が、「一九四五年八月一五日に決まっているじゃないか」というが、それは違う。   

>八月一五日が「終戦記念日」だというのは、世界の常識とは、まったくかけ離れているのだと孫崎氏はいうのです。   

>「私は米国や英国の外交官に友人がたくさんいます。   

>彼らに「日本と連合国の戦争がいつ終わったか」と聞くと、だれも八月一五日とはいいません。   

>かならず九月二日という答えが返ってくるのです」   

>世界の常識からいうと、日本の「終戦記念日」である八月一五日には何の意味もない。   

>国際法上、意味があるのは日本がミズーリ号で「降伏文書」にサインし、「ポツダム宣言」を正式に受け入れた九月二日だけだからです。   

>それなのに、なぜ日本では、九月二日のことを誰も知らないのかというと、「日本は八月一五日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。   

>「日本は負けた。   

>無条件降伏した」   

>本当はここから新しい日本を始めるべきだったのです。   

>しかし「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで、戦争に負けた日本のきびしい状況について、目をつぶりつづけてきた。   

 

そうですね。日本人は厳しい現実には目をつぶりますね。    

賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。    

 

>それが日本の戦後だったといえるでしょう」   

>自分たちに都合のいい主観的な歴史    

 

そうですね。日本人とって大切なものは気分・雰囲気ですからね。    

There is no accounting for tastes. 趣味は議論にならない。  

 

>いま読み返してみても、じつにあざやかな書き出しだったと思います。   

>私も『戦後史の正体』の編集を担当するまでは、「降伏文書」や「ポツダム宣言」について、もちろん一度も読んだことがありませんでした。   

>孫崎氏が教授を務めた防衛大学校でも、とくに「降伏文書」は授業でほとんど教えられていなかったそうですから、おそらく普通の日本人は誰も読んだことがないといっていいでしょう。    

>けれども、敗戦にあたって日本がどういう法的義務を受け入れたかを書いた「ポツダム宣言」と「降伏文書」は、もちろんその後の日本にとって、なにより重要な国家としてのスタートラインであるはずです。   

>にもかかわらず、「戦後日本」という国はそうやって、その出発時点(八月一五日)から国際法の世界を見ようとせず、ただ自分たちに都合のいい主観的な歴史だけを見て、これまで過ごしてきてしまったのです。   

 

それは勝手な解釈の横行ですね。わが国の国語教育の欠陥ですかね。日本人には哲学 (考え) が無い。      

 

>もっとも、もちろんそれは戦勝国であるアメリカにとってもそのほうが、都合がよかったからでもありました。   

>もしそうでなければ、そんな勝手な解釈が許されるはずがありません。   

>歴史をひも解いてみると、「降伏という厳しい現実」を日本人に骨身に沁みてわからせる別のオプションのほうが、実行される可能性は、はるかに高かったのです。   

>それは昭和天皇自身がミズーリ号の艦上で、自ら降伏文書にサインをするというオプションでした。   

>天皇自身による降伏の表明   

>考えてみると、日本は天皇の名のもとに戦争をはじめ、また天皇は憲法上、講和を行う権限も持っていたわけですから(大日本帝国憲法・第13条)、降伏するにあたっても、本来天皇が降伏文書にサインするのが当然のなりゆきでした。   

>事実、ミズーリ号の調印式の七ヵ月前、一九四五年二月時点のアメリカの政策文書では、日本の降伏文書には昭和天皇自身がサインし、さらにそのとき、次のような宣言を行うことが想定されていたのです。   

>日本国天皇の宣言   

>「私はここに、日本と交戦中の連合国に対して、無条件降伏することを宣言する。   

> 私は、どの地域にいるかを問わず、すべての日本国の軍隊および日本国民に対し、ただちに敵対行為を中止し、以後、連合国軍最高司令官の求めるすべての要求にしたがうよう命令する。(略)   

> 私は本日以後、そのすべての権力と権限を、連合国軍最高司令官に委ねる」   

>(国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)文書21「日本の無条件降伏」)   

>天皇をつかえば、多くの命が救われる   

>もしもこのプランが実行されていたら、日本人が九月二日の「降伏」に目をつぶりつづけることなど、もちろん不可能だったでしょう。   

>けれども、日本が八月一〇日にポツダム宣言の受け入れを表明した直後、このプランは撤回され、天皇に代わって日本政府と軍部の代表が、二人で降伏文書にサインするプランへと変更されます。   

>その理由は、アメリカにとって最大の同盟国であるイギリスのアトリー首相とベヴィン外相から、バーンズ国務長官のもとに、「天皇個人に直接降伏文書へのサインを求めることが、良い方法かどうかは疑問です」というメッセージが届いたからでした(「アメリカ外交文書(FRUS)」1945年8月11日)。   

>なぜならこれから私たちは、天皇を使って、広大な地域に広がる日本軍を確実に武装解除していかなければなりません。   

>それがアメリカ、イギリス、その他、連合国の多くの兵士たちの命を救う方法なのです、と。   

>つまり、今後は天皇の命令というかたちで、アジア全域にいる日本軍を武装解除させていく計画なのだから、そのためには、なるべく天皇の権威を傷つけないほうがいいというわけです。   

 

それはそうですね。その方が日本軍の弔い合戦を予防できますね。      

 

>このメッセージを本国に伝えたアメリカの駐英大使からは、その夜、イギリスのチャーチル前首相からも電話があり、そのとき彼が、「天皇をつかえば、遠い場所で多くの兵士の命が救われる」と確信をもってのべていたということが報告されています。

>意図的に隠された昭和天皇の姿   

>その結果、ミズーリ号の調印式には、日本政府の代表である外務大臣・重光葵と、軍部の代表である陸軍参謀総長・梅津美治郎が二人で出席し、九月二日、降伏文書にサインすることになりました。   

>こうしてこの一大セレモニーから、天皇の姿が意図的に隠されることになったのです。   

>その一方で、昭和天皇には八月二一日、マニラにいるマッカーサーから英語で書かれた「布告文」が届けられました。   

>それは本来なら天皇自身が調印式に出席して、そこで読みあげる可能性のあった、あの「日本国天皇の宣言」が、その後、アメリカ国務省のなかで何度も改訂されてできあがったものでした。   

>日本語に翻訳したその布告文に署名と捺印(御名御璽)をして、九月二日のミズーリ号の調印式にあわせて表明せよと指示してきた。   

>言い換えれば、それさえやってくれれば、昭和天皇は調印式に出席することも、降伏文書にサインすることも、宣言を読みあげることも、すべてやらなくていいということになったわけです。   

>こうして占領期を貫く、   

>「最初は英語で書かれたアメリカ側の文書を、日本側が翻訳してそこに多少のアレンジを加え、最後はそれに昭和天皇がお墨付きをあたえて国民に布告する」という基本パターンが、このときスタートすることになりました。   

(略)

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)            

 

 

 

 

 

 


閲覧数116 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/03/28 10:42
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