2023年05月07日(日) 

 

>【書評】日本という「泥舟」に乗る青年たちをただ「親切心」を持って見守る   >NEWSポストセブン の意見 • 5 時間前   

>【書評】『君たちのための自由論 ゲリラ的な学びのすすめ』/内田樹、ウスビ・サコ・著/中公新書ラクレ/924円   

>【評者】関川夏央(作家)   

> 内田樹は思想家にして武道家、ウスビ・サコはマリ共和国出身の建築空間学者でムスリム、アフリカ系で初めて日本の大学の学長となった人だ。   

>内田はサコに、表現系を主としたその「風通しのいい」京都精華大学に招かれて「自由論」を担当したが、この本は講義の一部と二人の対談で構成した。   

>〈日本はたしかにもう「泥船」です〉と内田はいう。   

>〈でも、その時に「泥船を捨てて(外国に)逃げろ」というスマートでエゴイスティックな解とは別に、「なんとかもたせて、沈むまでの時間を先送りにして、その間にできるだけ多くのものを救い出す」という泥臭い仕事も誰かが担うべきだ〉   

 

日本人は外国に逃げ出しませんね。蛸壺に入って死ぬまで戦います。韓国人、中国人とは違います。逃げていくところ (人間序列) が外国には無いのです。      

 

>「昭和育ち」も日本が右肩下がりだと実感していた。   

>しかし、もはや「泥船」なのか……。   

 

働けない日本病ですね。だが死ぬことはない。   

 

 

>「衰退途上国」化はこの三十年、「新自由主義」に基く為政者の「管理」意欲、それから「誰でもできることを他の人よりうまくできる者」に資源を集中した結果だ。   

 

縦社会が人材の流動性を阻害していること、没個性的な同次元序列の争いを放置している事などが、わが国の鎖国政策の存続に繋がっていますね。   

 

> サコはいう。   

>「日本社会の同調圧力が強力な武器」であった時代は去った。   

 

そうですね。ご唱和の時代は疾うに終わりましたね。   

 

>若い人たちは「同調圧力」を「空気を読むこと」だと矮小化して受け取って萎縮・沈黙する。   

>それが顕著なのが、本来「空気」とは無縁だったはずの大学という空間だ。  

 

あっけらかんとした世界の中でドライに割り切るセンス (判断力) が必要ですね。   

 

> 内田はいう。   

>「自由」の反対語は「束縛・抑圧」ではなく、私権の制限と公共への資源の委託による「平等」だ。   

 

自由の反対語は不自由ですね。不自由を常と思えば不足なしですね。束縛・抑圧などなくても日本人には不自由がある。それは思考を停止しているからですね。             

 

>だが自由と平等は「そのつどの歴史的条件の中で、それぞれの顔をちょっとずつ立てて、なんとか折り合いをつけなきゃならない」。   

>仲を取り持つのが西欧では「友愛」、日本では「親切」ではないか。   

> タイトルの「君たち」は青年たちを指すが、実は中年以降の人も「君たち」に入るのだろう。   

>老いて偏狭で短気、暗い気分になりがちな「昭和育ち」をいくらか救うのも、内田のいう「親切」では?    

>余計な口をはさまず、ただ「親切心」を持って青年たちを見守る。  

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。自由とは思考停止の言い逃れになっている。

とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)         

 

>それしかなさそうだ。   

 

日本病の病因を突き止める必要がありますね。原因療法をすれば危機を脱出できますね。      

 

>※週刊ポスト2023年5月5・12日号   

 

 

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閲覧数76 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/05/07 22:32
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