>AERA dot. >安倍元首相亡き後、この国はどこに向かうのか 自民党の負の側面と歴史の分岐点を見極める >14 時間前 > 安倍晋三元首相の殺害事件に続き、岸田文雄首相を狙った事件は、戦前の五・一五事件、二・二六事件を思い起こさせる。 >ウクライナへのロシアの侵攻、宗教と政治の不穏な関係など、時代の空気が戦前にも似た雰囲気を漂わせているなか、われわれは歴史から何を学ぶことができるのか。 >学会の泰斗、長谷部恭男(憲法学)、杉田敦(政治学)、加藤陽子(歴史学)の3氏が戦前と現代を比較しながら時代を読む。 >(朝日新書『歴史の逆流 時代の分水嶺を読み解く』<2022年12月刊>から一部を抜粋) >* * * >加藤 戦前、犬養毅首相が海軍の青年将校によって殺された1932年の五・一五事件、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相(いずれも首相経験者)らが陸軍の青年将校によって殺された1936年の二・二六事件は、揺らいでいた政党政治が維持されるか復活するのか、それとも日本が対外侵略に向かうのかという双方への期待と不安がせめぎ合っている、いわば「狭間の時代」に起こりました。 > 20世紀のイギリスの歴史家トインビーは、1914年に世界大戦が起きた時、当時の欧州諸国の対立の構図がペロポネソス戦争と同じだと気づきます。 >自分が観ている世界は、トゥーキュディデースが既に観ているのだと。 >それが「我々は歴史の中にいる」という感覚ですが、その伝で言えば、安倍元首相が殺害され旧統一教会と政治との関係が明るみに出て、政治と宗教団体との不適切な関係に焦点が当たったことで、今日の政治を、1930年代の政治の相似形としても理解しうるのではないかと思いました。
わが国の政治と宗教はどちらも政治哲学の無い力の持ち主であるところが似ていますね。
>つまり、この国はこれからどこに向かうのか、という大事な岐路に今、立たされているのではないでしょうか。
そうですね。政治家には政治哲学が必要である。政治は未来を先取りする必要があるからである。 未来の世界 (非現実) を文に描くには、未来時制の構文が必要である。時制は英語文法にはあるが、日本語文法にはない。 それで、日本人は未来の世界の内容を示すことができないので、政治哲学が成り立たない。ノンポリ・政治音痴のままでいる。 だから、わが国の政治家は目先 (現実) の事ばかりに忙殺されている。かれらは政治家ではなくて政治屋の感じがする。
>杉田 東京オリンピックにまつわる「裏金」(大会組織委員会の電通出身の元理事とAOKIホールディングス創業者の前会長などの贈収賄事件)の問題も出てきました。 >長谷部 政権与党を担う自民党の負の側面が見えてきて、今が転換点になり得るというのは、おっしゃるとおりでしょう。 >杉田 2022年7月の参議院選挙は、不幸にもその投票日の2日前に安倍元首相が銃撃されたことで、「弔い選挙」になるとの見方が強くありました。 >地滑り的に自民党が大勝すると多くが予測したわけです。 >しかし実際の自民党の獲得議席は、メディア各社による事前予測の上限程度にとどまりました。 >自民党の比例区の得票数を見てもそんなに増えていない。 >しかも全体の投票率は52%で、前回19年の参院選と比べても3ポイントほど上がっただけです。 >加藤 投票率が上がらないのは、なぜでしょうか。
日本人のノンポリの民族性でしょうね。この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけが無い。
>杉田 よくわからないところはありますが、今回の参院選は期日前投票がすでに20%ほどあり、事件前にはすでに投票を済ませていた有権者が多かったことも、影響したのかもしれません。 > それにしても、近年の国政選挙の票の推移を見ると、ほとんど「動き」が見られません。 >自民党に投票する人は何があっても常に自民党に入れる、という傾向があり固定化しています。
日本人には義理と人情がありますからね。
>ただ、その中で少しずつ共産党が票を減らし、立憲民主党も明らかに票を減らしている。 >21年の衆院選で躍進した日本維新の会は、今回の参院選では思ったよりも伸びなかった。 >自民党の票が維新に少し流れている傾向もあったのですが、今回は保守票の一部が自民に戻ったと見る専門家もいます。 > そして最大多数を占める、いわば日本の「第一党」ともいうべき無党派層は、今回も全く動いていない。
ノンポリ・政治音痴の無党派層は真の日本代表ですね。
>あのような銃撃事件があっても、投票所に足を運ばなかった。 >つまり、無党派層が選挙に参加しなかったために、自民党の票も増えなかったのでしょう。 >加藤 なぜそこまで固定化しているのでしょうか。
あのような銃撃事件は日本人の義理と人情に影響を及ぼさなかったからでしょう。
>杉田 21年12月の「日経ビジネス」電子版に米ダートマス大学政治学部教授の堀内勇作さんの投票行動に関する研究が出ていたのですが、調査の時に、たとえば原発など論争的な争点について、野党の政策を「これが自民の政策です」として示したうえで、政党支持を尋ねると、自民支持層のある部分は、それでも自民を支持するということが書かれています。 >つまり、政策の中身ではなく自民党だから支持する、自民党というブランドに投票する人がかなりいる、というわけです。
そうですね。義理と人情でしょうね。
>ここには、「みんなが投票している政党に入れておけば無難だろう」という「同調圧力」というか、日本人に特に強い心理がはたらいているかもしれません。
安心感からの投票ですね。’人の振り見て我がふり直せ’ ですね。
>「周りがマスクをしているから、とりあえずマスクをしておいたほうがいい」というのと同じことで、自分の意見というものがないのではないか。
そうでしょうね。
> それに加えて、選挙を「答え合わせ」のように考えている人たちも見受けられます。 >自分が入れた人が当選すれば自分の投票は「正答」、落選すれば「誤答」であったことになると考え、当選しそうな人に入れる。 >「自民党が勝つのは、自民が正しかったから」といった考え方も、ネット上でよく見かけます。 > こういう「答え合わせ」的な発想というのは、政党政治を主軸とする我々の代表民主政の理解としては間違っています。 >政治においては、正しい考え方がいくつもある。 >そのどれかがより正しくて、どれかは間違っているとは言い切れない。 >だからこそ、複数の勢力が戦い、とりあえず勝った勢力が権力行使を担いますが、それは、その勢力の考え方が正しい、ということを意味しません。 >制度上、どこかに任せなければならないから、とりあえず任せているだけであって、「正答」とか「誤答」とかの話ではありません。
そうですね。
> 日本の場合には、宗教間の対立など、根本的に考え方の違う人々の存在を日常的に意識する機会が少ないこともあり、「答え合わせ」的な発想にハマりやすいのかもしれませんが。 >また、実はルソーも『社会契約論』で、少数意見となった人々は、共同体全体の「一般意志」を誤解していたことを恥じるべきだ、などと言っており、「人民主権」論そのものに「答え合わせ」的な方向性があるかもしれません。 >加藤 結局、政策の論議をいくらやっても自民党には勝てないという話になりますね……。
無哲学・能天気では議論にならない。答え合わせしかない。
>長谷部さんは選挙についてどう見ていますか。 >長谷部 フランスは第五共和制になってから、右と左で政権交代をしてきたと思われていますよね。 >しかし、主要二大政党の一つの「社会党」は勢力を失う一方で、近年はマリーヌ・ルペン率いる極右の「国民連合」、極左「不屈のフランス」が急速に勢力を伸ばしています。 >その中でマクロン大統領は中道勢力をまとめて、何とか政権を維持しようとしている。 >第三共和制や第四共和制のときの政党状況に先祖返りしたかのようです。 > さて、日本の政権政党の自民党はどうか。 >自民党は「一つの政党」だと思われていますが、本当にそうなのか、よくわからないところがあります。
ノンポリ・政治音痴の人達の集まりでしょうね。すくなくとも実質的な政治団体ではないですね。
>神聖ローマ帝国について、神聖でもローマ風でも帝国でもないと言われることがありますが、自民党もリベラルでもデモクラティックでもないし、果たしてパーティと言えるほど、政治家それぞれの志向が一致しているのか。
政治家には政治哲学が必要ですね。無哲学・能天気では話にならない。
>むしろ、政権を維持することだけを目的に集まっている中道勢力と言えるでしょう。
そうですね。利権に集中していますね。
> 安倍政権は、これまでの自民党政権と比較しても明らかに「右寄り」の特異な政権でした。 >安倍さんなき後、自民党が元の中道勢力の連合体に戻るのかどうか、これもある意味で分岐点ではないでしょうか。
そうですね。
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