2023年06月25日(日) 

 

>婦人公論.jp   >池上彰 新聞記者から「ネットが普及した今、新聞に未来はあるのか」と問われて。新聞が無くなると何が起こるか   >池上彰 によるストーリー • 10 時間前   

>「新聞は専門用語ばかりで難しい」「ニュースはネットで見るから、新聞なんていらない」など…。   

>新聞離れが進み、新聞の読み方がわからなくなっている若者も増えています。   

>そんななか、「新聞を読む人が減ったことで、新聞を読んでいるだけで他人に差をつけることが可能になった」と語るのはジャーナリストの池上彰さん。   

>その池上さん「あなたがネットで得られるニュースの多くは、新聞社が取材した記事です」と言いますが――。   

>* * * * * * *  

>新聞に未来はあるのか   

>新聞に未来はあるのでしょうか。  

>先日、ある新聞記者に、同僚たちが将来に見切りをつけて次々に転職しているという話を聞きました。   

 

新聞の発行部数が減れば新聞記者の数も減りますね。   

 

>自分も不安で、新聞に果たして未来はあるのか、という相談でした。   

>私は、こう答えました。   

>これまで日本での新聞発行部数が過大すぎた、と。   

>日本は宅配制度に支えられて、世界でも稀(まれ)な発行部数を維持してきました。   

>日本のどこにいても、新聞販売店が、雨の日も雪の日も自宅に新聞を届けてくれています。   

>その結果、新聞を購読するのが慣習になっていたのです。   

>それでも新聞は必要   

>しかし、ネットの普及で、「新聞を購読する必要があるのか」という疑問が拡大しました。   

>それでも新聞は必要だ、と私は思います。   

>あなたがネットで得られるニュースの多くは、新聞社が取材した記事です。   

>新聞社が消えてしまったら、ネットに新聞社から配信される記事もなくなってしまいます。   

>新聞記者たちは、取材の仕方から原稿の書き方、事実関係の確認について、厳しく指導されて育ってきました。   

>そのためには費用もかかります。   

>こうした努力があってこそ、良質な記事が生まれるのです。   

 

良質な記事は必要ですね。    

 

>新聞は民主主義を支えるインフラ   

>最近はネット専業のニュースメディアも登場しています。   

>おやっと思うような新鮮な視点の記事も配信されます。   

>その一方で、「テレビのワイドショーでのタレントの発言が炎上した」という類のニュースが激増しています。   

>ネットニュースのメディアは取材にコストをかけるだけの経営的な余裕がありません。   

>少数の記者がテレビ番組を見て“ニュース”に仕立てるという手法が広がりました。   

>こうした“ニュース”がネットで配信されると、「これがニュースだ」と思ってしまう人も増えるでしょう。   

>国会での予算委員会が長らく開かれず、内閣の方針が国民に知らされない。   

>疑惑が明らかになった政治家が記者会見も開かない。   

>こうしたニュースは関心を呼ばなくなりました。   

>これで果たして民主主義社会は維持できるのか。   

>私は、それが心配です。   

 

同感ですね。わが国のノンポリ・政治音痴はなおりませんね。      

 

>アメリカでは、ネットに押されて多数の地方紙が姿を消しました。   

>地方紙がなくなった地域では、選挙の投票率が激減しています。   

>住民が、選挙が行なわれることを知る手段がなくなったからです。   

>地方政治を監視する新聞記者がいなくなり、地方の首長や議員たちが自分たちの報酬をお手盛りで引き上げていたことが明らかになったケースもあります。   

>こんな現実を見ると、新聞というのは、民主主義を支えるインフラだと痛感します。   

 

そうですね。新聞は政治監視の役割をはたしていますね。      

政治にはあるべき姿の追及が必要ですね。

日本人には世界観が無いので未来の世界の内容も想定外になっている。  

我が国民の無哲学・能天気を直さないと民主政治は良くなりませんね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。自由とは思考停止の言い逃れになっている。

とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

>新聞社の側の問題   

>とはいえ、新聞社の側にも問題があります。   

>記者たちが間違ったエリート意識を持ち、世の中の常識から乖離(かいり)したり、専門用語を駆使して読者が理解できない記事を書いたり、間違ったことを報じても間違いを認めなかったり。   

>そんなことを続けていたら、新聞が読者から見放されるのは当然のことでしょう。   

>それではいけない。   

 

そうですね。高慢は新聞の命取りになりますね。   

 

>そんな思いから、朝日新聞で「池上彰の新聞ななめ読み」と題して、新聞記事の比較検証やわかりにくい記事の批判を続けてきました。   

>新聞はなくならない。   

>でも、そのためには自らの努力が必要なのです。   

>その一助になれば、というのが私の願いです。   

>新聞は、読み方によって、これまで以上に楽しむことも可能なのです。   

>そんな読み方も知っていただければ幸いです。   

>※本稿は、『新聞は考える武器になる 池上流新聞の読み方』(祥伝社)の一部を再編集したものです。   

 

 

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閲覧数82 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/06/25 10:37
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