2023年06月26日(月) 

 

>現代ビジネス   >国境を超えた文化交流の拠点を立ち上げた、戦後日本文化の「原点」ともいえる「一人の男」がいた…!   >柴 那典 の意見 • 5 時間前   

>三島由紀夫からユーミンまで、数々の芸術家や文化人が通い詰めたイタリアン・レストラン「キャンティ」。   

>数々の舞台や公演を手掛けるなど日本と海外の文化交流に奔走した川添浩史が妻の梶子と立ち上げた伝説的な店である。   

>作曲家/音楽プロデューサーの村井邦彦が日本経済新聞社編集委員の吉田俊宏とともに著した『モンパルナス1934』は、川添浩史の若き日々を綴った小説だ。   

>川添は1934年に21歳でパリへ渡り、ロバート・キャパや岡本太郎、坂倉準三など多くの芸術家と交流を持ち、国内外に人脈を築き上げる。   

>ユーミン、YMO、吉田美奈子、カシオペアなど数々の才能を世に送り出した村井は、10代で過ごしたキャンティの日々、そして川添浩史からの影響が自分のキャリアの原点にあるという。   

>前後編インタビューの後編では、川添浩史が築いた文化交流の基盤について、そして海外に通用する日本のポップカルチャーを発信する秘訣について語ってもらった。   

 (略)   

>――最後に聞かせてください。   

>これを読んでいる読者の中には、海外に通用する日本のカルチャーやプロダクトを発信するためにはどうすればいいかを考えている方も多いと思います。   

>そういう方に向けて村井さんからアドバイスをいただけるとするならば、どういうことがありますか?   

>今やますます地球が小さくなってきていますよね。   

>しかも人口が80億人もいるんだから、みんなで上手くやらないと、あっちでもこっちでも紛争や戦争が起こったりして大変です。   

>そんな中で僕たちは日本という文化を背負って生まれてきたわけで、そういう僕たちが世界の人たちとどうやって折り合いをつけてやっていくのかを考えなければいけない。  

 

日本の文化 (culture) はダメだが、下位の文化 (subculture) は広く受け入れられる (acceptable)ようですね。   

照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜(づきよ)にしく物ぞなき (大江千里) 

<意味>さやかに照るのでもなく、といって全く曇ってしまうのでもない、春の夜のおぼろにかすむ月の美しさに及ぶものはない。 

‘奥ゆかしい’ の意味は、 ‘奥深くて慕わしい。思慮ありそうに見える’である。実は日本人の求める‘奥ゆかしい’は見掛け倒し。日本人は無哲学、能天気の人間である。

日本人には現実(事実) があって非事実 (考え) がない。 現実は頭の外にあり、その内容は見ることかできる。非現実は頭の中にあり、その内容は見ることができない。そして頭がお留守になっている。    

日本の文化には、形式があって内容が無い。儀式があって、教義がない。 作法があって、教えがない。  

生まれた時には宮参り、結婚式はキリスト教会で行い、死んだ時には葬式仏教の厄介になる。   

日本人は思考停止の日常生活を送りながら、良い気分・雰囲気を求めてやまない人間である。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   

 

>別の言い方をすれば、日本という素晴らしい文化を持った僕たちが世界に貢献できることはどういうことなんだと考えて、僕たちのこういう文化が世界の未来に向かってこう役立つんですときちんと説明できればいいですね。   

 

そうですね。日本人には哲学がない。それは日本語の文法では非現実 (考え) の内容を文にすることができないからである。日本人がこの想いを実現しようと無理に強行すれば、空想・妄想 (辻褄の合わない内容) になる。お陰様でわが国は漫画・アニメの大国になました。         

 

>で、その基礎になるのは、「歴史を知る」ということだと思います。   

>我々日本人がどういう風に生まれて、外国と接触して、どういうことが起こったのか。   

>西洋からいろんなことを学んで、しかし結局西洋とは相容れないところがあって、戦争になった。   

>それがいいとか悪いっていうことじゃなくて、どうしてそういうことになったのかという歴史を知っていれば、解決の方法を思いつく可能性がもっと大きくなってくるんじゃないかと思うんです。   

 

そうですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。自由とは思考停止の言い逃れになっている。

とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)           

 

>インターネットとデジタル技術によって音楽の仕事も随分変わりましたが、人間は音楽を記録し続けるでしょう。   

>人間が音楽を記録するという行為はイタリアのグイード・ダレッツォが楽譜を発明して以来1000年の歴史があります。   

>昨日や今日あったことだけを知っていてこの先を考えようとしても、たいしたことは考えられないと思います。   

 

そうですね。日本人の未来は想定外になっています。       

 

 

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閲覧数75 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/06/26 14:29
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