2023年07月07日(金) 

 

>東京新聞   ><社説>人口減少の未来 社会の在り方変えねば   >昨日 7:33  

> 日本の総人口は二〇七〇年に現在の七割程度の八千七百万人、二一〇〇年には六千二百万人と推計される。   

>政府の想定より出生率が上がり、外国人が増えても減り方が緩やかになるだけだ。   

> 私たちが幸せに暮らし続けるには、どのような未来像を描き、実現していけばいいのか。   

>少子化対策を充実させつつも、人口減に適応できるような社会の在り方に変えるべき局面にきている。   

> 民間有識者による令和国民会議(令和臨調)の国土構想部会が五日の記者会見で提言したのは、人口減を前提とした新たな社会づくりの議論に着手することだ。   

> 問題は人口が少ないことではなく、地域社会が人口減に適応できず機能不全に陥ることだ、という問題意識をまずは共有したい。   

> 提言は地域社会の持続には「人が成長し、産業がかけ合わさり、地域がつながる」ことを目指すべきだとし、複数の役割を果たす人材▽地域や業種を超え協働する企業▽複数の地域が支え合う連携網-の三つが必要だと指摘する。   

> 主に自民党が担ってきた過去三十年間の人口政策が奏功したとは言い難い。   

>子育て支援や外国人労働者の受け入れに取り組んではきたものの、同党が重視する家族重視の伝統的価値観に縛られ、場当たり的な対応を繰り返してきた印象は否めない。

 

我が国民が伝統的価値観に縛られるのは良くないですね。    

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。   

 

> 岸田政権も例外ではない。   

>民主党政権当時、自民党が自らの反対で廃止に追い込んだ所得制限のない現金給付を復活させる方針に転じるなど子育て支援は迷走し、安定財源の裏付けも乏しい。   

> 外国人労働者に門戸を広げつつも、移民政策を正面から論じようとせず、人口減を前提にした中長期的な構想は手付かずだ。   

 

そうですね。移民政策を正面から論ずべきですね。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)               

 

> 人口減を直視しないまま経済成長を前提とする旧来型政治と決別し、人口減に適応して経済成長とは無関係に豊かさを実感できる社会を目指すべきではないか。   

 

我が国も移民のハングリー精神を利用すべきであると思いますね。外人嫌いは我が民族のアキレス腱ですね。      

 

> 人口減が前提の社会に変えるには、行政サービスや公共交通、年金・医療・介護・子育て支援など社会保障、外国人との共生の在り方を再構築しなければならず、広く英知を集めることが不可欠だ。

 

日本人に英知を期待しても無理でしょうね。英知があれば今まで放置することはなかった。       

 

> 時々の政権に委ねず、国民を代表する国会が党派を超えて、日本社会の在り方を議論するよう求めたい。   

>人口減は社会を変える好機でもある。   

 

地球は人口増で困っていますからね。わが国は外人嫌いで困っています。      

 

>悲観することなく、社会全体で議論を深めたい。  

 

そうですね。移民の国で成功している国もありますからね。       

 

 

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閲覧数63 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/07/07 16:33
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