>東京新聞 >日本だけ!? なんでも供養 >オピニオン 9 時間前 > 公園や寺社で供養碑や供養塔を見かけることがある。 >供養の対象は人や動物だけでなく、道具や橋、さらには天体までも。 >「これほどまでに、なんでも供養している国は世界中に例がない」と専門家は指摘する。
民は ‘ありがたや、ありがたや’ ですね。
>都内にはどんな碑や塔、塚があるのか巡ってみた。 >◆なぜ「日食」? >疫病退散願う 奥多摩 > 奥多摩町の小河内ダム(奥多摩湖)近くにある「水と緑のふれあい館」。 >敷地内の「石碑の小径(こみち)」に「日食供養塔」が立っている。 >上部に彫られた丸印は日輪を表したのだろうか。 > 寛政十一(一七九九)年とあるから江戸時代中期に造られたようだ。 >当時、日食は疫病の流行を太陽が代わって病んでくれるという信仰があり、奥多摩町誌資料「奥多摩町の民俗」には「お天道様、どうか大きな厄病が流行(はや)りませんようにという願いからではないか」と塔の建立について記述されている。 > 小径には橋を供養する「築留橋供養塔」、道を供養する「新道供養塔」も並んでいる。
あらゆるところに神がいる。日本人は汎神論者ですかね。
>町教育委員会の川崎渚学芸員は「日食供養塔は旧原村の門覚寺近くにあったようだ。 >ダムが建設される際、ほかの碑などと同じく、湖底に沈んでしまうため、この小径に移設された」と説明した。 >◆医学部教授、実験用カエルに墓 新宿 > 供養碑で多いのは動物だ。 >東京都品川区東品川には「鯨塚」がある。 >寛政十(一七九八)年、品川沖にクジラが現れ、漁師が天王洲に追い込んで捕獲した。 >体長九間一尺(一六・七メートル)。 >当時としてはかなり珍しいことだったようで、十一代将軍徳川家斉も見物した。 > 新宿区四谷の長善寺にあるのは「蟇(がま)塚」。 >慶応大学医学部生理学教室で実験に使った数多くのカエルを供養するため加藤元一(げんいち)教授(故人)らによって一九三七年に建てられた。 > もちろん愛玩動物も供養されている。東京都新宿区早稲田南町の漱石山房記念館には「猫の墓」がある。 >夏目漱石の「吾輩は猫である」のモデル「福猫」の十三回忌にあたる二〇年、漱石の長女の夫が夏目家で飼われていた生き物を供養する塔を建てた。 >空襲で損壊し、今は残った石が積まれている。 >漱石山房で唯一の遺構という。 > 上野公園・不忍池の弁天島は供養碑の集積地だ。 > 弁天堂の南側を中心に「鳥塚」「ふぐ供養碑」「スッポン感謝之塔」などの生き物のほか「包丁塚」「めがね之碑」「暦塚」などがある。 >それぞれ、関係する業界や組合が建立した。 > 寛永寺によれば、半世紀以上前に鳥塚が建てられたのがきっかけとなり、碑や塔を建てたいとの要望が増えたという。 >鳥塚より以前に造られた碑や塚は他の場所から弁天島に移設されたようだ。 >◆感謝と贖罪が底流に 相田満・国文学研究資料館准教授 > 供養碑や塔を調べ、データベースを作成している国文学研究資料館の相田満准教授に供養碑の歴史などを聞いた。 > -生き物だけでなく、道具や物も供養している。 > 供養の歴史の一部は中国からの影響もあるが、これほど多様な供養碑が存在するのは日本だけ。 >私は器物や無生物への供養を「なんでも供養」と呼んでいる。 > -奥多摩町には日食や橋、道の供養碑があった。 > 橋供養は七世紀までさかのぼることができる。 >関東は橋供養碑が数多く残っており、最多の埼玉県では二千を超える。 >ただ、明治維新の廃仏毀釈(きしゃく)の際、かなりの碑が壊されてしまい、正確な数は把握できない。 > -上野の弁天島には供養碑が集まっている。 > 弁天堂の本尊は弁才天で音楽と芸能の守り神。 >弁財天とも書き、金運上昇にも御利益があるとされる。 >ふぐやスッポンなどの料理は技術がないとできない仕事。 >業界の発展を願い、弁財天にあやかる地に碑を建てたいと業界や組合の関係者が考えたのではないか。 >不忍池は景勝地だから訪れる人に示したいという狙いもあるだろう。 > -今後も供養碑や塔は増えていくのだろうか。
我々は ‘食いつ食われつ’ の世の中に住んでいますからね。供養碑や塔は増えて行くでしょうね。
> 生き物供養は贖罪(しょくざい)と感謝が大きな動機だ。
‘悪かったなあ’ ということでね。何処まで行っても避けられませんね。
>とりわけペット供養は増えている。 >器物・無生物供養は物への感謝と消費に対するうしろめたさが底流にある。 >二〇一九年に秋葉原でポケベル供養が行われ、近年では葬祭場や不動産会社が人形供養を営む。 >今後もなんでも供養は続くと考える。
印欧語族の文法には時制 (tense) というものがある。時制は過去・現在・未来とか前世・現世・来世の構文をつくって考えの内容を表す。意思を表す文も作る。 意思がある人間は加害者意識を感じることになる。それが高じると罪の意識になる。魂の救済を必要とする人も出て来る。プロの宗教家が現れて贖罪とか涅槃を得る指導をする。 考え (非現実) は文章として表されるから哲学になる。昔はスコラ哲学とかインド哲学が発達した。彼らは学問 (哲学) の府を建設した。 日本人の場合は形式 (事実) があって内容 (考え) が無い。現実 (事実) が頭の外にあって、非現実 (考え) が頭の中にない。すると、日本人には英米流の高等教育が成り立たない。海外留学がわが国では流行らない。 生まれた時には宮参り、結婚式はキリスト教会、葬儀の時は仏式のご厄介になる。これは、良い気分・雰囲気を追及した結果である。わが国には加害者意識がなくて被害者意識ばかりがある。だから、恨めしい被害者ばかりが大勢いる。幽霊も ‘恨めしい’と言って出てくる。
> 文と写真・桜井章夫
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