2023年07月20日(木) 

 

>キーワードから読み解く「教育の新潮流」   >Forbes JAPAN | magazine の意見 • 昨日 7:30  

>https://images.forbesjapan.com/media/article/64655/…d4b33f.jpg    

>教育では、どのような変化が起きているのか。   

>これからどんな変化が起きるのか。   

>「イノベーティブ・エデュケーション30」審査委員への取材を通して見えてくる潮流とは。   

>いま、日本の教育が大きく変わりつつある。    

>小学校・中学校・高校の各教科で教える内容を定めた学習指導要領が、約10年ぶりに改訂。   

>新学習指導要領は、小学校は2020年度、中学校は21年度、高等学校は22年度から実施された。   

>社会の変化が激しく、未来の予測が困難なVUCA時代において、変化に対応し、社会や人生をより豊なものにできるよう学びを変えていく狙いだ。   

>そこでは、学校で学ぶべき「3つの柱」として、(1)「知識・技能」、(2)「思考力、判断力、表現力等」、(3)「学びに向かう力、人間性等」が示されている。   

>このうち学力テストで評価できない(2)、(3)の要素は「非認知能力(非認知スキル)」と呼ばれ、注目されるようになった。   

>目立つ変化は、小学校から外国語教育が始まり、プログラミング教育が必修化された点。   

>高校では「情報1」や社会科の「公共」が必修科目として新設された点。   

>また、高校では「総合的な探究の時間」が設けられ、各科目にも「古典探究」「世界史探究」「理数探究」など探究学習が導入されている点だ。   

>以前から探究学習を実施している学校もあったが、より一般的なものになっていくと考えられる。   

>よく言及されるPBL(課題解決型学習)も、探究学習のひとつだ。   

>新学習指導要領は、一方通行・座学中心の授業から、「主体的・対話的で深い学び」、つまりアクティブ・ラーニングの実現を目指している。   

>時代の変化に合わせて変わるのは、「教える」内容だけではない。   

>「学ぶ環境」も大きく変わっている。   

>19年12月に文部科学省が打ち出した「GIGAスクール構想」で、児童生徒向けの1人1台端末と高速大容量の通信ネットワークの整備が進んだ。   

>「端末とネット環境は用意されたが、その活用は各学校によってピンからキリまである。   

>格差が現れつつある」と話すのは、「イノベーティブ・エデュケーション30」の審査委員であり、ICT教育に詳しい未来教育デザイン代表の平井聡一郎だ。    

>「格差こそあるが学校でのICT機器の使用は当たり前になった。   

>これからは、クラウドを活用して、家と学校両方でICTを駆使し、学びを深める段階に入る。   

>だからこそ、『どのような学びを実現するのか』という点に立ち返る必要がある」(平井)   

>世界的な潮流を見ると、経済協力開発機構(OECD)が19年に提示した「ラーニング・コンパス(学びの羅針盤)2030」では、30年の子どもたちに必要な教育やスキルとして「エージェンシー」という概念を提示。   

>教育関係者の間で注目された。    

>エージェンシーとは、「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」だ。   

>「主体性」に近い概念だといえる。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。責任をもった行動でなければ主体性もない。   

 

>一方で、日本の子どもたちは、主体性やその基盤となる自己肯定感、社会変革意識も低いと言われている。   

 

意思の無い人間は自己肯定感も社会変革意識も低いですね。   

日本人には世界観が無いので社会変革も想定外になっていますね。   

 

>日本財団が22年に発表した「18歳意識調査-国や社会に対する意識」を見ると、「自分には人に誇れる個性がある」、「自分は他人から必要とされている」「自分は責任がある社会の一員だと思う」、「自分の行動で国や社会を変えられると思う」といった質問に対し、「はい」と答えた人の割合が6カ国(日・米・英・中・韓・印)中、最下位だった。

 

日本人には自己が無いので仕方のないことですね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>審査委員のひとりである日本大学文理学部教授・末冨芳は、主体性の前提となる「権利思想」が重要だと指摘する。   

>「まず子どもたちが、自分自身が権利を持つ大切な存在であり、相手もまたそうであるということを認識すること。   

>権利思想は民主主義における必要不可欠なアイデア。   

>学校がその考えなしに主体性を育てようとしても、上っ面の取り組みにしかならない」(末冨)と釘を刺す。

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

>23年4月1日に「こども基本法」が施行され、校則見直しとともに、児童虐待やいじめなどの問題が起こった際には、「子どもの権利」を尊重して対応が行われるように変化していくだろう。    

 

日本人には批判精神が必要ですね。   

 

>教育も「ウェルビーイングが前提」に   

>文部科学省、中央教育審議会が取りまとめた、23年度から始まる次期教育振興基本計画では、「日本社会に根ざしたウェルビーイングの向上」がコンセプトとして掲げられている。   

>前述のOECDラーニング・コンパスでも、ウェルビーイングへの言及があり、世界的な流れとも重なる動きだ。   

>こうした背景について、審査委員でEdTechスタートアップ、Inspire High・CEOの杉浦太一は教育の目的の変遷から分析する。   

>「産業革命以降、経済界、企業の成長に寄与できる人材を育てるための教育がなされてきた。   

>ここにきてはじめて、『人がよく生きる』のための教育とは何か、と考えられるようになった。   

>探究学習をはじめ、我々のようなスタートアップの知見が教育に貢献できることも多くなるだろう。   

>これまでの『学び』をアンラーンする大きな変化が起きている」(杉浦)   

>22年11月、こうした「教育の変化」を、より大きく推進する技術に教育業界が震撼した。   

>「対話型人工知能(AI)のChatGPT」の登場だ。   

>審査委員を務める熊本市教育長の遠藤洋路もそのひとり。   

>「AIが、思考力、判断力、表現力まで、人間を上回るのは時間の問題だろう。   

>そうしたら、人間の役割はAIに与える課題を設定するだけになる。   

>人間は仕事をしなくなり、人生を楽しむことが存在意義になるかもしれない。   

>であれば、『現在のような学校は必要なくなるのではないか』という、そもそもの前提を覆すような問いも生まれてくる」と話す。   

>子どもたちが全員学校に通い、義務教育を受ける。   

>長年、続いてきたこの教育環境を揺るがす「大転換期」がいずれやってくるのかもしれない。   

>こうした変化のさなか、我々に求められているのは、学校や先生、子どもたちだけでなく、私たち全員で「教育に関する学びほぐし・学び直し」に取り組み、変革に挑む姿勢なのかもしれない。   

 

学校教育において、他人の受け売りと後追いの成果を序列順位の獲得競争に利用することはやめた方が良いですね。序列社会の行き止まりですね。   

 

 

 

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閲覧数59 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/07/20 14:35
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