>AERA dot. >「変化への適応」の重要視に警告 心理学者が語る内向の価値「思慮の浅さにつながる」 >榎本博明 の意見 >•23 時間 > 洪水のように情報が流れ、目まぐるしく勢いで変化する現代社会。 >そのスピードに対応することが求められているが、そうした現状に心理学者の榎本博明氏は警鐘を鳴らす。 >新著『60歳からめきめき元気になる人 「退職不安」を吹き飛ばす秘訣』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、解説する。 >* * * >■内向してみるのもよい > 私たちの人生をたどってみると、内向の時期と外向の時期がつぎつぎに交代して訪れていることがわかる。 > 乳幼児期は、内向の時期である。 >まだまだ現実との接触が少ないうえに、認知機能も未発達で、空想の世界に浸るなど非現実的な世界に生きている。 > 幼稚園に通うようになると現実との触れ合いが多くなるが、小学校では本格的な勉強が始まり、現実社会を見る目が養われ、大人の目の届かないところでの友だちづきあいも進み、現実の厳しさに揉まれて暮らすようになる。 >言ってみれば児童期は外向の時期である。 > 青年期のはじめの頃を思春期と呼ぶが、自我の目覚めと言われるように、自己意識が高まる。 >見る自分と見られる自分に引き裂かれ、絶えず自分を意識するようになる。 >そして、「なんで自分はみんなと違うんだろう?」「自分らしさって何だろう?」「自分はどう生きるべきなんだろうか?」「どんな生き方をするのが自分にふさわしいんだろうか?」などといった自己のアイデンティティにまつわる問いが頭の中を駆けめぐるようになる。
哲学的な内容ですね。
>そのような意味において、青年期は内面を耕す時期であり、内向の時期と言える。 > 学校を卒業し就職すると、仕事に慣れ、会社などの組織に馴染むために一生懸命な毎日が続くようになり、自分のことを振り返る暇がなくなる。 >その意味で、成人前期は外向の時期と言える。 > 働き盛りを過ぎる中年期になると、「このまま突っ走ってしまっていいんだろうか?」「今の生き方を続けて後悔しないだろうか?」「これが自分が望んだ人生なのだろうか?」「自分らしい人生になっているだろうか?」「何か過去に置き去りにしてきたことはないだろうか?」「もし生き方を変えるなら今のうちだ」などといったアイデンティティをめぐる問いが再び活性化してくる。
反省の時期ですね。
>自分の心の声が聞こえてきて、現実の歩みが一時的に止まってしまうこともある。 >その意味で、中年期は内向の時期と言える。 > そうした葛藤を経て、転職したり生き方を変えたりするにしろ、そのままの生き方を貫くにしろ、自分なりの検討を行った末の選択に基づいて、また仕事に没頭する日々は定年が見えてくるまで続く。 >したがって、成人後期は外向の時期と言える。 > そして、いよいよ定年退職を迎える頃、自分の生き方をめぐってあれこれ思い悩むようになる。 >自分らしい生き方、自分なりに納得のいく生き方を模索する。 >その意味で、老年期の入り口は内向の時期と言ってよいだろう。 > 職業生活に縛られていた頃は、自分らしい生き方をめぐって思いを深める暇などなく、とにかく職業上の役割に徹するしかなかったわけだから、職業生活から解放されたからには、自分の世界にじっくり浸ってみるのもよいのではないか。 > 現代はスピードアップの時代であり、フットワークの軽さにばかり価値が置かれがちだが、それはともすると思考の浅さにつながりやすい。
そうですね。
>反応が良くてフットワークは軽いのだが、どうも薄っぺらくて頼りないといった人物が目立つのも、熟考より反応の速さ、深さより軽さに価値を置く現代の風潮の反映と言える。
指示待ち人間のタイプですね。
>そこで目を向けたいのが、内向の価値である。 > 現代は、反応が速く、変化に対する適応のよい外向の価値ばかりが重視されるが、思考の深さ、発想の豊かさということを考えると、内向の価値にもっと目を向けてもよいだろう。
そうですね。
> 深層心理学者のユングは、人間には自分自身への関心が強いタイプと他人や周囲の出来事への関心が強いタイプがあるとして、内向型と外向型という2つのタイプに分類した。 > 内向型とは、自分自身への関心が強く、内面とのふれあいが豊かで、自分の心の中で起こっている主観的出来事をうまくとらえることができ、そうした主観的要因を基準に行動するタイプである。 > 要するに、何をするにも、まず自分がどう感じ、どう考えるかが大切なのであり、他人の意向や世間一般の風潮などには動かされにくい。 >自分が納得いくように動きたいのである。 > 外の現実に対して身構えるようなところがあり、世間一般の風潮に対しては批判的な構えを取りがちで、そのため現実社会への適応に苦労する。
智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ とかくに、人の世は住みにくい (夏目漱石)
一方、外向型とは、周囲の人物や出来事への関心が強く、周囲の期待や自分の置かれた状況、世間の動きをうまくとらえることができ、そうした外的諸条件を基準に行動するタイプである。
ナウな感じのする人たちですね。忖度の人ですね。高文脈 (high-context) 文化の人ですね。下位の文化 (サブカルチャ) の支持者ですね。
> 要するに、相手がこちらにどうすることを期待しているのか、自分は今どんな状況に置かれどう振る舞うのが適切なのかといった、自分を取り巻く外的な条件に対する関心が強い。
打てば響くタイプの人間ですね。喜ばれもするし、感心もされる。
> そのため、現実社会への適応は良いのだが、自分自身の内的な世界が閉ざされているため、自分自身の欲求や感情には気づきにくく、周囲に合わせすぎる過剰適応に陥りがちである。 > 飽くことなくスピードアップを追求する今の時代、周囲にアンテナを張りめぐらし、目まぐるしく変化する世の中の動きを敏感に察知し、素早く対応することが求められる。 >それは、まさに外向型の得意とするところだ。 > じっくり自分自身に問いかける内向型は、どうしても社会の変化の流れに乗り遅れる。 >そして、外向型のフットワークの軽さを羨み呆れると同時に、自分自身の適応の悪さに自己嫌悪することにもなりがちだ。 >■エジソンも漱石も芥川も―― >だが、スピードや効率の良さを追求するあまり、じっくり考えるということを忘れがちな現代においては、内向型の心のあり方に学ぶところは大きいはずだ。 > だれもが外の世界にばかり目を向けている時代であるが、もっと自分の内的世界に目を向けてみてもよいだろう。
日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気になっている。エジソンも夏目も芥川も同調圧力に屈しないタイプの人間でしたね。内向型でありながら実社会に通じるタイプでしたね。内向型でありながらそうでない人も多いでしょうね。
>そこで強調したいのが、内向的な姿勢を取ることの価値である。 > アインシュタインは、非常に無口な少年で、明るくはしゃぐ友だちの輪から一人離れて、空想に耽って時を過ごすことが多かったという。 >現実の活動に向けるエネルギーを節約し、内的世界に沈潜し、思索に耽ることによって、偉大な科学的発見にたどり着いたのであった。
日本の大学生は ‘大学に閉じこもっていてはいけない’ ‘実社会に出なければだめだ’ といっていますね。大学の勉強は日本人の人生の役に立たないということでしょうかね。
> エジソンは、小学校時代は授業についていけない劣等生で、教師にバカにされたのをきっかけに不登校になり、自宅で自分が興味ある勉強をして過ごした。 >それが独創的な発明につながっていった。 >ものごとをじっくり考えるタイプのエジソンにとって、みんなのペースに合わせて学習するというスタイルが合わなかったのだ。 > 科学者のアインシュタインや発明家のエジソンに限らず、哲学者ニーチェも、心理学者ユングも、わが国を代表する作家夏目漱石や芥川龍之介、詩人の萩原朔太郎、立原道造も、自分の内的世界を探求することが偉大な業績に結びついたのである。 > べつに何か独自な発見をするわけでなくても、自分の内面に目を向けることで、これまで忙しかったときには気づかなかった自己発見ができるかもしれない。
そうですね。
> 外向的に生きなければならない職業生活からせっかく解放されたのだから、みんなの動向ばかり気にしたり、情報に触れることにばかり熱心にならずに、周囲と遮断された環境に身を置く時間も大切にすべきだろう。
それは隠遁生活ですね。
>そうでないと自分独自の世界ができてこない。
そうですね。自己実現の励みですね。
>自分独自の世界をもたない人間が、「自分らしく」とか「個性的に」などと言っても、そもそも個性的なその人らしさというものがみられない。
そうですね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>榎本博明 えのもと・ひろあき > 1955年東京都生まれ。 >心理学博士。 >東京大学教育心理学科卒業。 >東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。 >カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。 >『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。
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