2023年09月07日(木) 

 

>東京新聞    >GHQへの忖度か「戦争を思い出させてはならない」 戦災犠牲者慰霊に「消極的」な東京都の姿勢、今も   >8 時間   

><封印された証言ビデオ 源流をたどる>㊦   

> 東京大空襲の実態を積極的に周知したくないのでは―。   

 

東京大空襲は貴重な教訓になりますね。   

 

>東京都の姿勢に、そんな疑念さえ抱かせる文書の存在を、空襲犠牲者遺族から聞いた。   

>終戦の2年後、都が関係各所に発出した「戦災者慰霊塔建立について」という通知文。   

>遺族らは、今につながる都の戦災犠牲者慰霊への「消極性」の源流とも感じている。   

 

日本人には意思が無い。だから積極性がなくて消極性がある。   

 

>◆「占領政策を円滑に進めるため」   

> 当時「戦災者救済会会長」を発起人として隅田公園(台東、墨田区)言問橋の畔(ほとり)に、高さ約10メートルの慰霊塔をつくる計画があった。   

>ところが都は1947年2月、渉外部長名で出した通知文で「慰霊塔の建立は許可しない」とし、庁内や自治体へ回覧した。   

 

それは残念なことでしたね。    

 

>都が連合国軍総司令部(GHQ)に配慮し、拒否した内容だ。  

 

拒否は日本人の得意な忖度によるものでしたね。   

 

> 渉外部長はGHQ側との調整役。  >つづられていた理由が衝撃的だ。   

>「司令部の指導方針」として「日本国民に戦争を忘れさせたい」「慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない」とあった。   

 

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)      

兎角この世は無責任か。   

 

> この文書を著書で取り上げたことがある長 志珠絵(おさ しずえ)・神戸大教授(日本近現代史)は「占領政策を円滑に進めるため、米軍への反感は困る。   

>空襲の責任者追及をさせないことが重要。   

 

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

 

>都も米軍におうかがいを立てた」と解説する。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

 

 

 

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閲覧数95 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/09/07 16:41
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