
>現代ビジネス >それでもジャニー氏を礼賛した日本人…イェール大教授が指摘「日米の芸能界、最大の違いは何か」 >飯塚 真紀子 によるストーリー • >10 時間 >アメリカの大物は「終身刑」に >ジャニーズ事務所がジャニー喜多川氏の性加害を認め、謝罪する記者会見を開いたことが欧米のメディアでも報じられている。
犯罪者には謝罪が必要ですね。
>会見の中で新社長に就任した東山紀之氏は、ジャニー喜多川のことを度々“絶対的存在”と言及した。 >アメリカの芸能界にも“絶対的存在”がいた。 >ハリウッドの大物プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタイン氏である。 >その絶大な権力を利用して、多くの女優たちをセクハラし、90人以上の女性に告発されて、2020年、ニューヨーク州で強姦罪などで禁錮23年の実刑判決を受けたのに続き、2023年にはカリフォルニア州で禁錮16年の実刑判決を受け、現在服役している。 >ニューヨーク州とカリフォルニア州合わせて39年という長い禁錮刑と現在71歳という同氏の年齢を考えると、その判決は終身刑に等しい。
そうですね。
>一方、ジャニー氏は、被害者が数百人と世界最多とも言われながらもワインスタイン氏のように裁判にかけられて服役することは結局なく、それどころか、他界した際にはその偉大さを礼賛する報道が目立った。
日本人は性の犯罪に関しては感度が低いですからね。 ‘牧畜民と絶縁していた日本民族は、性の面でもこれと断絶しており、これをどこまで情緒化し芸術化して行っても、少しもさしつかえなかった。明治のはじめに来た欧米人の全てが驚きかつ溺れたのは、この日本独特の伝統的な性の世界であった。’ (イザヤ・ベンダサン)
>日米のこの大きな違いは何に起因しているのか? >イェール大学東アジア言語文学学科・学科長で、日本のメディアの研究もしているアーロン・ジェロー教授が指摘したのは忖度という問題だ。 >芸能事務所が強すぎる >「日本には忖度 [推察] という問題があります。 >政治家も官僚もメディアも忖度している。
日本は馴れ合いの社会ですからね。 ‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。
>アメリカには日本ほどの忖度はありません」 >忖度は、井ノ原快彦氏が会見の中で言及していた「触れてはいけない空気」や藤島ジュリー景子氏が言及した「物を申せなかったという空気」と言い換えることもできるだろう。
日本人は相手の気分・雰囲気・感情を察知することに長けていますね。察知の内容は論拠にならない。独りよがりです。
>ジャニーズ事務所内は、“絶対的存在”のジャニー氏に対する忖度という問題があったのだ。
戦前・戦中の皇民化教育のようなものでしょうね。
>だから、ジャニー氏の問題に気づいていても、忖度から、東山氏が言及したように「見て見ぬふりをしてしまった」。 >忖度は、メディアとジャニーズ事務所の間にもあったと思われる。
忖度は義理 (序列社会の義務) と人情 (私意・我儘・身勝手) の世の中にはびこっていますね。
>そこには両者の間に力関係という問題が横たわっているからだ。
そうですね。序列社会は上位下達ですね。上意とは目上の者の恣意である。
>ジェロー教授はいう。 >「問題は芸能事務所が大きな力を持っているということ。 >日本では、一部の芸能事務所は裏で反社会勢力と繋がっているとも言われていますが、そのことも報じられていません。
そうですね。
>芸能事務所にとって不利益になる報道がなかなか報じられないのは、芸能事務所とメディアの間に力関係の問題があるからだと思います」
そうですね。日本人には批判精神 (critical thinking ) がない。誰一人としてメディアに批判精神を求めていない。だからメディアにも力がない。
>そんな力関係の問題を、ジェロー教授は日本の映画関係者の話から感じていた。 >「日本の映画関係者はよく“芸能事務所の力は強くて、脚本もチェックする”と話しています。 >特に、ジャニーズ事務所や吉本興業のような力がある芸能事務所に対して、日本のメディアは抵抗できない状況があるようです。 >物申せば、芸能人をメディアに提供してもらえなくなる恐れがあるからでしょう」
‘物言えば唇寒し秋の風’ ですか。批判精神がなければ意気地なしになる。
>マスコミ内部の力関係 >また、同じメディアの組織内にも忖度という問題があり、それが日本の報道を弱体化させているという。
日本人は理詰めの考えができないから忖度を働かせるしかないですね。
>「日本の報道は弱いと思います。 >あるメディアの報道部門が芸能事務所のセクハラ問題を報じたら、芸能人なくしては成り立たないバラエティー制作部門の方からクレイムが来るからでしょう。 >アメリカの場合は、報道部門とバラエティー制作部門は切り離されており、互いに干渉し合っていません」 >報道部門とバラエティー部門が独立して活動しているゆえに、報道部門はバラエティー部門に忖度することなく、自由な報道ができるアメリカ。 >日本の報道の自由度が世界的に低い背景には、忖度という問題があるのかもしれない。
そうですね。高文脈文化に基づく仕来りが癌ですね。
>芸能事務所が「番組づくり」に口出し >また、アメリカでは、芸能事務所と制作側もそれぞれが独立した対等な関係ゆえに、忖度という問題も生じていないと思われる。 >「アメリカの芸能事務所はタレントをマネージメントすることだけに専念していますが、日本の芸能事務所は制作内容にまで介入することがあります。 >例えば、吉本の芸人が出ている番組は制作も吉本興業が行っていることがあります。 >しかし、アメリカでは、業界内でそのようなことは認められていないのです。 >芸能事務所が制作内容にまで介入すると、タレントのためではなく自分の利益のために動く可能性があり、利益の対立という問題が生じるからです。 >実際、アメリカでは、ある芸能事務所が制作にも関与し始めたことから、脚本家組合がそれに抗議するという出来事も起きました。 >一方、日本の芸能事務所は映画会社やテレビ局と密接な関係を持ちながら多岐にわたって活動しています。 >そんな密接な関係性の中、制作側である映画会社やテレビ局は芸能事務所に抵抗できなくなっている状況があるのかもしれません」 >芸能事務所と制作側の間にある独立性が欠如した、近過ぎる関係がジャニー氏の性加害問題に蓋をしていたということか。
それもありますね。’自主独立’ はアメリカ人のモットーであっても、日本人には縁がない。日本人はもたれ合いてすね。
>アメリカでも告発は難しかった >ジャニーズ事務所内にあったジャニー氏に対する忖度。 >制作側のジャニーズ事務所に対する忖度。 >メディアの報道部門のバラエティー部門に対する忖度。 >忖度にがんじがらめにされている日本に必要なものは何か?
日本人には批判精神がない。あるのは義理と人情の世界だけです。このような世界では忖度を働かせるしかない。
>一つには、被害者が“絶対的な存在”に対して忖度せずに声をあげることだろう。 >しかし、これはとても勇気がいることだ。 >アメリカでも、長い間、被害者たちは声をあげてこなかったとジェロー教授は話す。 >「アメリカで、セクハラを告発し、それが報じられるようになったのは最近のことなのです。 >15年前なら、女性は声をあげず、あげたとしても報じられなかったでしょう。 >ワインスタイン事件は、女性が声をあげるきっかけになったと思います。 >ワインスタイン事件やMe Too運動を通して、女性の中で意識の変化が起き、彼女たちは声をあげる自信を身につけたのです。 >結局、意識の変化が起こらなければ、どんな業界でもセクハラはなくならない。
そうですね。アメリカはため口社会ですからね。意識の変化が起こりやすいでね。猿真似では意識の変化は難しい。
>そして、声があがったら、メディアも忖度せずにそれを報道してほしいと思います」
そうですね。日本人には意思が無い。指示待ち人間になっている。これが問題です。
>ジェロー教授はまた芸能事務所に関する法整備の重要性を訴える。 >「事務所任せにしても問題は解決しないと思います。
そうですね。事の次第・その成り行きをただ述べるだけでは問題は解決しませんね。解決のカギは自己の意思を示すこと。自己の意思を示せば当事者・関係者になる。示さなければ傍観者にとどまる。
>カリフォルニア州には芸能事務所に関する法律があり、事務所に運営のためのライセンスを与えています。 >また、法律の中には、反社会勢力が事務所に関わっている場合はライセンスを剥奪できるという項目もあります。 >事務所がセクハラをしていることが発覚したら、ライセンスを剥奪される可能性もあるかもしれません」
「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
>「枕営業」もセクハラである >セクハラ防止のトレーニングを行うことも重要だという。 >ジェロー教授が教鞭を取っているイェール大学では、毎年、セクハラ防止のトレーニングが行われている。 >「例えば、大学教授と学生は力関係が等しくないことから、女子学生の方から大学教授に自由意思で付き合いたい、旅行に一緒に行こうと誘ったようなケースでも、セクハラと見なされます。 >駆け出しの女優が監督に対して枕営業をした場合でも同様です」 >力関係が等しくない両者の間で起きた関係には、それだけ厳しい視線が向けられるのだ。
それは結構なことですね。わが国でも取り入れたいですね。
>ジャニー氏の性加害問題は、日本の“忖度文化”を炙り出した。
忖度は独りよがりの自分勝手な解釈ですね。議論の相手になりませんね。むろんわが国には議論というものはない。
>それは、芸能界に限らず、政界、経済界、スポーツ界など様々な業界で蔓延っている。 >忖度文化ゆえに、日本では、歴史的に多くのことが隠蔽されてきたはずだ。
そうですね。あっけらかんとした世界の中でドライに割り切るセンス (判断力) が必要ですね。
>その結果、何十年経っても変わることがない、今の後進国日本が生まれたのではないか。
そうですね。形式を墨守するわが国の後進的な文化の特徴ですね。
>今回のジャニーズ問題を契機に、忖度文化という問題を叩きつけられた日本が、どう変わっていくのか注目したい。
わが国のマスコミには良い提案をしていただきたいですね。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り) .
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