>現代ビジネス >この身体はどこからきて、どこへゆくのか…日本の哲学者が苦悩した「西洋と東洋の本質的な違い」 >藤田正勝の意見・ >18時間・
どこからきて、どこにゆくのかは、世界観が無いと答えられないでしょうね。 印欧語の文法にある時制 (tense) というものを使わないと世界観 (world view) は構築できませんね。 世界観は3つの独立した世界 (過去・現在・未来、または 前世・現世・来世) から成り立っている。 英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。 哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けている。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。 今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。 当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つかの話ばかりで持切りである。世界に関する注意力の不足で井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。
>明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。 >「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。
日本語は現実の内容を表す言語ですから、非現実 (抽象語) の内容を理解するのは難しいですね。
>そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。 >『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 >※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。 >「共通感覚」とは何か >私たちは視覚は視覚、聴覚は聴覚、嗅覚は嗅覚というように、それぞれ独立した感覚であると考えるが、古代ギリシアのアリストテレスはそれらの基層に、共通の感覚能力、つまり「共通感覚(コイネ・アイステーシス)」があると考えた。>それによって私たちは砂糖の「白さ」と「甘さ」とを別の感覚として感じ分けることができるし、感覚作用そのものを感じとることもできると考えたのである。 >このアリストテレスの「共通感覚」には、戦前にも中井正一や西田幾多郎、西谷啓治らが関心を寄せていたが、戦後とくにそれに注目した人に中村雄二郎がいる。 >中村はアリストテレスの「共通感覚」についての理解を踏まえながら、『共通感覚論──知の組みかえのために』(一九七九年)などにおいて独自の思索を展開した。 >そこには、「知の組みかえのために」という副題が示すように、「理性と論理」によって支えられていた従来の知を「共通感覚と言語」によって組みかえようという意図が込められていた。 >中村が「共通感覚」をその思索の軸に据えるに至った一つのきっかけは、木村敏の、さらには木村と交流のあったドイツの精神病理学者ブランケンブルク(Wolfgang Blankenburg, 1928-2002)の精神病理学の立場からの「共通感覚」への注目であった。 >木村は一九七六年に発表した「離人症」と題した論文において、離人症の患者にとって「世界」が単なる「感官刺激の束」として、言いかえれば「感覚表面に突きささってくるカオス」として受けとられる原因を、人間と世界との根源的な通路づけを可能にする統合的な感受能力である「共通感覚」が十全に機能していないことに求めた。 >「基底的構造」を見つめる >感覚や感情、知性といった、世界に対する人間の関与の仕方、さまざまなはたらきの根底に、言わばそれらを統合する感受能力が機能しているという木村の発想を踏まえて、中村もまた「共通感覚」に注目したのである。 >それは、近代における感覚の理解、つまり視覚を他のすべての感覚を統合するものとして位置づける感覚理解の見なおしにもつながっている。 >このような近代において支配的であった視覚中心の感覚理解に対して、中村は諸感覚のもっとも基礎的な統合を、むしろ「体性感覚」的な統合としてとらえている。 >体性感覚とは触覚や痛覚などの皮膚感覚と、筋肉の動きなどを感知する深部感覚とを指すが、そのような感覚こそが他の諸感覚を統合し、活動する身体を支えるとともに、他の人間や自然との関わりを可能にする「地平」を切り開くと中村は考えたのである。 >それとともに中村は「共通感覚」を、「身体を基礎として身体的なもの、感覚的なもの、イメージ的なものを含みつつ、それをことば=理のうちに統合する」ものとしてとらえることによって、従来の言語理解の見なおしをも試みている。 >中村の「共通感覚」論は、分析的な理性の論理を、そこにおいて排除されたイメージ的、身体的なものを回復した言語によって乗りこえようとする試みでもあったと言うことができる。 >西洋的な、あるいは近代的な知においては、言うまでもなく、客観的な知、つまり厳密な観察に基づき、言語によって明確に表現される知が重視されてきた。 >科学技術は、そのような知を重視するものの見方の上に築かれた。 >それに対して東洋の知の伝統のなかでは、むしろ非言語的、非対象的な知が問題にされてきた。 >そのような観点から湯浅泰雄は、東洋の知に、とりわけその身体論に注目した。 >湯浅の代表的な著作の一つである『身体──東洋的身心論の試み』(一九七七年)によれば、身体、そして身心の関係は二重の構造をもつ。 >一方には、大脳皮質を中枢とするいわゆる感覚―運動回路と、それと機能的に結びついた外界知覚と運動感覚、そして思考作用からなる「意識」の領域がある。 >それに対して他方には、自律神経系に支配される内臓諸器官と、それに機能的に結びついている情動および内臓感覚がある。 >湯浅は前者を「身心関係の表層的構造」と呼び、後者を「身心関係の基底的構造」と呼んでいる。 >基底的構造の一部は、感情という形で、意識の領域に現れているが、しかしその大部分は「無意識」の領域に属している。 >それは通常はその姿を現さないが、たとえば夢や催眠状態において、あるいは神経症、精神病において顕在化することがある(市川浩の言う「錯綜体」と同じものが考えられていると言ってよいであろう)。 >このような理解を前提にした上で、湯浅は西洋の身心論がたいていの場合「表層的構造」にのみ目を向け、「基底的構造」に対して十分な注意を払わなかったのに対し、東洋の身心論では、むしろ「基底的構造」の方に重点が置かれてきたと主張する。 >東洋の身体論ないし身心関係論について論じるためには、この身心関係の二重構造、とくにその「基底的構造」に注目する必要があるというのである。 >東洋思想の特徴 >たとえば東洋の伝統的な宗教においては修行の一つの方法として「瞑想」が重視される。 >私たちの通常の生活のなかでは大脳皮質およびその機能と結びついた意識活動(身心関係の表層レベルでのはたらき)が中心的な役割を果たしているが、瞑想はそのはたらきをむしろ低下させ、逆に、基層にある身心のはたらきを活発化させようとするものだと考えられる。 >そのことによって、無意識領域に沈んでいる根本的な情念や情動を表面化させ、解放し、解消すること、そして自己の身心をコントロールすることがめざされている。 >湯浅によれば、それは、心理療法などでセラピストが用いる治療法にも通じるところがあるが、しかしそれと同じではない。 >治療では病気の状態から健康状態への復帰がめざされるが、それに対して瞑想においては、情動や情念に動かされる日常のあり方を離れて、その彼方にある本来的自己(仏教であれば「三昧」(samadhi)ということばで表現されるあり方)へと至ることがめざされる。 >湯浅は、東洋思想と西洋の哲学とを比較したときに、前者に見いだされる特質をまさにこの瞑想を含む「修行」のなかに見いだしている。 >つまり東洋思想の独特の性格は、知を、単に対象の分析から理論的に知られるものとしてではなく、自己の身心全体による「体得」ないし「体認」を通して把握されるものとしてとらえる点にあると考える。 >そのような観点から湯浅は「修行」を、「自己の身心の全体によって真の知を体得しようとする実践的試み」と定義している。 >西洋の哲学においてはたいていの場合、身体や欲望、感情などは知から排除されてきたが、東洋の伝統思想の根底には、事柄の真相は知だけでとらえることはできず、むしろ身心全体によってはじめて把握されるという考え方があった。 >しかも、そのことを単に知るだけでなく、実際に「修行」を通して自分自身のものにすることがめざされてきたと言ってよいであろう。 >そこに東洋思想の大きな特徴を見いだすことができる。 (略)
民(たみ)信(しん)無(な)くば立たず。(論語・顔淵) 日本人について ‘うん、頭はいい。しかし、信頼できるかね’(フランク・ギブニー) ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 日本人には世界観がない。 ‘あるべき姿’ が想定外になっている。 だから日本人は成り行き任せの(happy-go-lucky) の生活を送っている。意思が無いのでやむを得ない場合にしか反応しない。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。 ‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)
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