2024年08月18日(日) 

 

>TBS NEWS   >終戦から79年 生かされなかった敗北の教訓“ノモンハン事件” 空から見た日本軍敗北の痕跡【news23】   >TBS NEWS DIG Microsoftの意見・   1日・   

>85年前、広大な草原で日本軍とソ連軍との軍事衝突、「ノモンハン事件」が起きました。   

>大きな犠牲を出した日本軍。   

>このときの教訓が生かされていれば、「太平洋戦争は起きなかった」とも言われています。   

 

‘タラレバ’ の話が日本人の反省につながるとよいですね。   

 

>終戦から79年 生かされなかった敗北の教訓“ノモンハン事件”   

>2024年に100歳を迎えた女性が語り始めたのは、85年前の戦争の記憶でした。   

>チィメド・ツェリンさん   

>「爆弾の破片で重傷を負った兵隊が、叫び声をあげながら死んでいきました。   

>私は看護師でしたから、目の前で命を落としていく兵隊たちのために泣きました」   

>当時15歳だったモンゴル人のツェリンさんが目撃したのは、日本軍と当時のソ連、そしてモンゴル軍が戦った「ノモンハン事件」です。   

>1932年、日本は現在の中国東北部に「満州国」という傀儡国家を作りました。   

>その満州国に駐留していた当時の日本軍は、ソ連、モンゴル軍と国境線をめぐり、小競り合いを繰り返していましたが、ついに、1939年5月、軍事衝突に発展します。   

>4か月にわたり繰り広げられた戦いは、4万人近い犠牲者を出した末、日本の敗北に終わりました。   

>モンゴルの首都ウランバートルから東へ約1000キロ。   

>私達は、ノモンハン事件の現場を訪れることにしました。   

>空から見た日本軍敗北の痕跡   

>たくさんの馬が水辺に集まる雄大な景色が広がっています。   

>しかし…   

>記者   

>「ここは激しい戦闘が行われた場所の一つなのですが、85年たった今も、戦車がそのまま残されています」   

>現れたのは85年前の戦争の残骸でした。   

>撃墜されたのか、飛行機の一部もそのまま残されていました。   

>戦いの痕跡は大地にも。   

>上から見ると、ソ連軍が掘った塹壕が現れました。  

>まるで地割れのように数キロにわたって広がっているのがわかります。   

 

ロシア人の得意な戦法ですね。  

 

>周到に塹壕を準備したソ連軍はここに潜んで、連日、日本軍に激しい攻撃を浴びせ続けました。   

>別の激しい戦闘が行われた場所の一つには、上空からは無数の穴が確認できました。   

>日本軍が空から落とした爆弾の跡です。   

>当初は、日本軍が空からの攻撃で有利に戦いを進めていましたが、ソ連軍が最新鋭の戦闘機を投入したことで一転、劣勢に陥ったといいます。   

>日本が敗北した理由。   

>ここでノモンハン事件を40年以上調査しているモンゴル人の研究者は次のように話します。   

>「ノモンハン事件」研究者 ミャグマルスレンさん   

>「ソ連が勝った要因はロジや補給、戦力。   

>特に地形をよく知っていて、正しい情報があったからです」   

 

知識は宝ですね。   

 

>日本軍は「地形をよく調べず、軽視していた」という指摘があります。   

>ある場所に立つと、それがよくわかりました。   

>生かされなかった“敗北の教訓”   

>「ノモンハン事件」研究者 ミャグマルスレンさん   

>「ここは高地なので、敵を見張るには有利でした」   

>日本軍とソ連軍、モンゴル軍が対峙したハルハ河。   

>高地側がソ連・モンゴル軍。   

>ハルハ河を挟んだ対岸側が日本軍です。   

>高低差を活かし、日本側の動きを手に取るように把握していたソ連側は高台から砲弾を撃ち込み、戦況を有利に展開しました。   

>さらに…   

>「ノモンハン事件」研究者 ミャグマルスレンさん   

>「ソ連軍の戦車や武器の性能が日本軍よりもよかったのです。   

>日本軍はソ連の戦車を倒すため、ガソリンに火をつけた布を長い竹の棒の先につけ、戦車をたたいていました」   

 

それは、私の祖母が昔やっていた、梅の木に宿る毛虫退治の方法と同じですね。   

 

>最新鋭の戦闘機や戦車を投入したソ連軍と、それに竹の棒で立ち向かった日本軍。   

 

竹やり戦法は日本の伝統ですね。日本の文化には形式があって内容 (考え・哲学) が無い。      

 

>ソ連軍の戦力を過小評価していた点も敗因の一つだったといいます。

 

日本軍は精神主義ですからね。兎角、失敗は軽視されていますね。      

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

>ノモンハンの敗北で明らかになったこと。   

>それは物資の補給や兵站の貧弱さに加え、装備の近代化の遅れ。   

>そして何より、正確な情報を分析する能力の欠如でした。   

 

全てが猿真似でやっていては、わが国は西洋に追いつくことはできませんね。後追いばかりでは、西洋に遅れます。      

 

>「ノモンハン事件」研究者 ミャグマルスレンさん   

>「もし日本がこの戦いの敗北から教訓を学んでいれば、第2次世界大戦は起きなかったし、広島、長崎に原爆が落とされることもなかっただろうと思うのです」   

 

そうですね。日本人が賢ければ、そういう事に成りますね。   

 

>もし日本がこの敗北を真正面から受け止めていたら、太平洋戦争という無謀な戦いを計画することはなかったのではないか、とミャグマルスレンさんは指摘します。  

 

そうですね。現実の話しは只一通り。‘たられば’ の話は無数にある。だから、タラレバの話は長くなりますね。   

 

>しかし、日本はノモンハン事件から教訓を得ないまま、2年後、太平洋戦争に突入したのです。   

 

日本人は反省が嫌いですからね。   

日本人は失敗を恥と見る。事実を隠ぺいして返り見ない。   

アングロサクソンは、失敗を研究して成功するための知識を吸収する。   

日本人は思考が嫌いですね。思考を停止している。だから、受け売りと後追いばかりに専念しています。   

これが日本人の学校教育のやり方です。   

 

>15歳で看護師として戦争に参加したツェリンさん。   

>100歳になった今、若い人たちに伝えたいことがあるといいます。   

>チィメド・ツェリンさん   

>「戦争というのは大変悲惨なものです。   

>二度と戦争を起こさないようにしてほしいと伝えたいです」   

>「戦争は始まると誰も止められなくなる」   

 

そうですね。   

 

>小川彩佳キャスター:   

>終戦から79年前。   

>VTRを見て、真山さんはどう感じましたか?   

>小説家 真山仁さん:   

>ちょうど今、戦前の満州を舞台にした小説を準備していて、ノモンハンがメインではないですが、勉強をしています。   

>改めて戦争のことを考えると、一番大事なことは「なぜ始めたか」。   

 

そうですね。   

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任が無い。日本人は責任者捜しに苦労している。    

たとえば【英対する開戦の詔勅】では

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。   

となる。  

天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。  

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) 

だから意思の無い国民の事後処理はうやむやになる。兎角この世は無責任。   

 

>そこが戦争を止める一番のチャンスで、始まると誰も止められなくなります。   

 

そうですね。   

 

>ウクライナなどがそうですが、戦争は絶対に計画通りに行きません。   

>ちゃんと勉強して失敗を教訓にしないといけませんが、わりと我々はそれをやっていない。   

 

そうですね。生死に関わる事柄の学習が疎かにされていますね。      

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) 

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)       

戦って敵に勝つことが善であるならば、戦わずして勝つことは善の善である。わが国は平和国家であるから、善の善を目指さなくてはならない。我が自衛隊はその目的にたいする備えを怠るべきでない。 

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)   

 

>小説だとフィクションなので、そこは踏み込めるのでやらなければいけないかな、と思っています。   

>なので今後10年くらいは少し頑張って戦争にこだわりたいと思っています。    

 

そうですね。頑張ってくださいね。   

 

>もう一つ、私も含めてメディアの方と一緒に考えなければいけないのは、「戦争を考えるのは8月だけなのか」ということです。   

>もちろん原爆が2回落とされた月でもあり、終戦の日でもありますが、それを言うと「12月8日のパールハーバー(真珠湾攻撃)も重要じゃないのか」となります。   

>毎月戦争の反省をする必要はないです。   

>ですが、生き証人に語られることでしかリアリティが得られないというのは少し問題だと思います。   

 

そうですね。専門家のリサーチが必要ですね。わが国には戦争研究所は無いのですかね。わが国の生死に関わることですから国を挙げて調べる価値がある内容ですね。         

 

>戦争を全く知らない世代、親から戦争を聞いた世代がどのように伝えていくのか、を考えていかなければなりません。   

>生き証人はどんどん亡くなっていくので「亡くなったら終わり」というのは少し残念かなと思いますね。   

 

そうですね。それではアニマルと同じですね。  

 

>小川キャスター:   

>教訓を受け止める世代であり続けてきたものが、今度は送る世代になっていかなければならないわけですね。   

>真山さん:   

>どう発信するかを考えなければいけない時がきていると思います。   

 

そうですね。地道な学問で価値がありますね。知的財産ですね。人類の宝ですね。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロサクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数37 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/08/18 03:10
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