>マネーポストWEB >「本籍=皇居の人が3000人」 時代遅れの日本の戸籍制度では “本人確認ができない” という大問題 氏名に振り仮名を記載しても本質的な解決策にならない理由 >マネーポストWEBによるストーリー・ >6時間・ 今年5月の改正戸籍法施行で、戸籍の氏名に振り仮名が記載されるようになった。 >振り仮名があることで不正防止に役立つというが、経営コンサルタントの大前研一氏は、「戸籍制度は、21世紀のデジタル時代に対応したものに定義し直さなければならない」と主張。 >大前氏が提言する。 > * * * > 戸籍上の「本籍変更」が話題になっている。 > たとえば、東京都千代田区は人口(住民基本台帳登録者数)約6万9000人に対し、本籍人口は3倍以上の約21万人もいる。 >そのうち皇居(千代田区千代田1番)に本籍を置く人は約3000人で、本籍人口としては全国一多く、10年前から約900人増えた。 >同区の世帯数は約4万なのに、本籍数は約9万4500戸籍である。 >また、富士山頂に奥宮がある富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町1番)の本籍数は約260戸籍だ(いずれも本稿執筆時点)。 >東京駅や東京ディズニーランド、大阪城なども本籍地として人気が高いという。 > なぜ、こんなことになっているのか? >本籍は(実在する地番であれば)どこに置いてもよく、筆頭者の判断で自由に変更できるからだ。 >さらに、2024年3月の改正戸籍法施行で「広域交付制度」が導入され、これまで本籍地の市区町村でしか取得できなかった戸籍証明書(戸籍謄本・抄本)が全国どこの市区町村でも取得できるようになったことが、本籍の変更に拍車をかけている。 >しかも、マイナンバーカードを利用すれば、戸籍証明書は最寄りのコンビニのマルチコピー機で簡単に入手可能だ。 > しかし、そもそも戸籍制度は明治時代の“遺物”である。 >1871年(明治4年)に制定された戸籍法は、1947年(昭和22年)の改正で戸籍の基本単位が「家」から「夫婦」に、「戸主」が「筆頭者」に変更されたが、抜本的には何も変わっていない。 > 戸籍は人の出生から死亡に至るまでの親族関係を登録・公証するもので、原則として1組の夫婦およびその夫婦と同じ氏(姓)の未婚の子を編製単位として作られている。 >その筆頭者は、婚姻の際に夫の氏を名乗ることにした場合は夫、妻の氏を名乗ることにした場合は妻で、その下に子が“付属”する。 > つまり、戸籍は移動の自由が制限されていた封建的な江戸時代の名残であり、基本単位が「家」から「夫婦」に変更されたとはいえ、根本は地番ごとに「戸=家」単位で管理する国民データベースなのだ。 > 戸籍証明書は婚姻、就職、パスポート申請、相続手続きなどで必要不可欠だが、どこにでも置ける本籍には今や何の意味もないから、江戸時代や明治時代の社会基盤をそのまま継続している戸籍制度は、21世紀のデジタル時代に対応したものに定義し直さなければならないはずだ。 >しかし、政府は150年以上も前にできた戸籍法を墨守している。
そうですね。
>絶対に必要な「生体認証」 > しかも、国民の義務や権利には戸籍より「住民票」のほうが密接に関係している。 >納税の義務や選挙の投票権などは住民票の氏名、年齢、住所が基本である。 > ただし、住民票の氏名と住所も当てにはならない。 >クレジットカード会社やリース会社が苦労するのは「多重債務者」の追跡だが、彼らはクレジットカードやローンの申請で、しばしば氏名や住所を使い分ける。 > たとえば、氏名の読み仮名を変えたり、同居家族の名前を使ったり、果てはペットの名前まで拝借したりして、住所も複数登録する。 >そうすれば、コンピューター上では“別人”となり、不正が可能になるからだ。 > つまり、前述のように本籍はどこに置いてもよく、さらに1人の人間が複数の氏名や住所を持ったり、1つの住所に本籍が異なる複数の人間が登録したりできるという極めて杜撰な状態になっているから、本人確認ができないのである。 > この問題は今年5月の改正戸籍法施行により、戸籍の氏名に振り仮名が記載されるようになったことでかなり防止できるが、それは本質的な解決策ではない。 > だから戸籍証明書や住民票には「生体認証」が絶対に必要であり、それがないマイナンバーカードは根本的に欠陥品なのだ。 >政府はマイナンバーカードの利用範囲を健康保険証から運転免許証やパスポートの申請などにまで拡大しているが、生体認証がなければうまくいくわけがない。 > となれば「戸籍は必要なのか?」「住民票と何が違うのか?」と問うべきだろう。 > 世界中で戸籍制度があるのは、日本と中国と台湾だけである。 >韓国にもあったが、男系戸主中心の家父長的家族制度を土台にしていたため、男女同権などに反するとして2008年に廃止され、個人が中心の「家族関係登録制度」になった。 > 他の国には、そもそも戸籍という概念がない。 >欧米諸国は「個人登録制度」が主流で、たとえばアメリカは親の国籍にかかわらず、アメリカ国内で生まれた子は生まれた時に生まれた町で「出生証明」(birth certificate)が登録されてアメリカ国籍になる。 > デンマークの場合は、デンマーク国籍の女性がデンマークの病院で出産した子には、生まれた時にデンマーク国籍と「市民登録制度(CPR/the Civil Registration System)番号」が与えられる。 >父親が誰かは問われない。 >そして、その子は基本的に教育費や医療費が無料になり、死ぬまで国に面倒を見てもらえる。 > 世の中では事実婚やLGBTQ(性的少数者)が増加し、個人と国を結びつけるレジストレーション(登録)がますます複雑になっている。 >それに対応できるよう、日本は戸籍と住民票を法律できちんと定義し直し、生体認証を入れてデジタル化すべきである。
そうですね。
> 今はNFT(Non Fungible Token/非代替性トークン)という偽造できないデジタルデータもある。 >NFTの所有者は「唯一無二のものを持っている」ことを証明できるので、その技術を活用すれば安全・安心な国民データベースの構築が可能となる。 > さらに、それに登録する基本単位は現在の「戸=家」ではなく「個人」にして、デンマークのように女性からスタートすべきだろう。 >なぜなら生まれた子の父親が誰なのかは不確実で争いの元になる可能性があるが、出産した女性が母親であることは間違いないからだ。
そうですね。
> もはや「戸=家」にこだわる必要は何もない。 >婚姻や家族関係などの副次的なものは別途、緩やかに定義すればよいのである。 > すでに世界の主要国はデジタルで21世紀の時代に対応した国民データベースを構築している。 >一方、日本の戸籍制度は150年前の明治時代のままであり、完全に時代遅れだ。 >可及的速やかに廃止して、世界標準の生体認証付きデジタル国民データベースに作り替えるべきである。 >それができなければ、デジタル庁を設置した意味はない。
現実 (事実) は頭の外にあり、非現実 (考え・哲学) は頭の中にある。日本人にも現実だけがあって、非現実がない。これは日本語の文法には時制が無いためである。 日本人は思考を停止しているので、無哲学・能天気の人である。 現実があって非現実がないと、宗教に儀式があって、教義がない。 日本人の生活は、生まれた時には宮参りをして、結婚式はキリスト教会で行う。葬儀は葬式仏式で済ませばよい。これで過ごす事ができれば万事万々歳である。 内容を考えなければ、矛盾ということも気にならない。 だから、思考を停止している日本人には理屈にも価値がない。 思考を停止しているので考えが無いのであるから、考えを改めるということも上手く行かない。 日本人は内容 (非現実) が無いだけに余計に形式 (現実) には拘る。それで改革運動の妨げになることが多い。結果的に日本人は守旧派の人達になっている。 現実に過度に拘る結果、猿真似・後追いは得意であるが、創造力に乏しい。猿真似・後追いの優劣の争いは激しく、日本人の人間序列形成の判定に使われている。
>【プロフィール】 >大前研一(おおまえ・けんいち)/1943年生まれ。 >マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、本社ディレクター等を経て、1994年退社。 >ビジネス・ブレークスルー(BBT)を創業し、現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長などを務める。 >最新刊『日本の論点2025-26』(プレジデント社)、『新版 第4の波』(小学館新書)など著書多数。 >※週刊ポスト2025年5月23日号
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。 「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。各々の政治家は日本の国際化に鑑みて日本語の表記法に深い関心を持つべきである。
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