まーちゃさん
私も今新聞をよんだところです。
鶴竜さんにしてもイチローさんにしても本当に一生懸命は
いいですね。
横綱より優勝がしたいとのこともいいですね。
相撲はさっぱりですが応援したい気持になりました。
イチローさんの人気もすごいですね。
日本で開幕なんて気持が大変だったことでしょうね。
練習も人一倍努力されてるから結果もついてくるのですね。
鶴竜が大関に昇進したそのときの口上は、 「謹んでお受けします。 これからも稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえる 相撲を取れるよう努力します」 だった、私は四字熟語より分りやすいこの言葉のほうが好きだ。 以下中日新聞の記事から拾い書きする 鶴竜は11年前の4月の出来事を振り返る。 バスケットボールに打ち込んでいた15歳の少年は 大相撲の中継をみて 「やってみたい、と思った 自分でも不思議。勝負が早く決まったり、小さい人が大きい人に勝ったり。番付を上げるチャンスが年6回といっぱいある」 しかし何のつてもない、両親と話し合い入門を志願する手紙を書いた。 「日本の相撲学校の入学試験」を受けさせてほしいと 手紙は人を伝い縁あって井筒親方へと渡った。 2001年9月、16歳で来日 「体が細くて、硬くて。見込みがあるとは全然思わなかった」 と親方。面接で事業部長から「小さいね大丈夫か」と言われた 「受かちゃって、あ~、もっと大きいのを入れておけば、と思ったよ。でも横を見たらアイツがニコッと笑ってね。まあ、いいか、と」 誰もが認めるぼくとつとした好青年。 ただ師匠は「芯はしっかりしていた」と断言する。 胃腸は強くなかったが食べに食べた。序二段と三段目を行ったり来たりしてもあきらめない。本人の「目立ちたいとは思わない。でも強くなりたかった」と言う言葉が鶴竜という力士を象徴した。 昨年の秋場所、大関とりに失敗。琴将菊、稀勢の里に先を越されても腐らなかった。 あの手紙には一途さが詰まっていた。 「もし私を受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の気持ちにこたえるべく、一生懸命がんばりたいと思います。 立派な力士になるように精一杯稽古にはげみます」(原文のまま)10年半、守り通した。 春場所千秋楽から一夜明けた26日、鶴竜は「手紙を書いた時はここまでくるとは思っていなかった。ただ頑張ってきた」といつもの小さい声で振り返った。 「立派な力士」が現実のものとなった。 つづきはやめます・・ |