>現代ビジネス >明治時代、日本に来た外国人たちが「驚愕」した「日本の文化」のすごさ >松岡正剛の意見・ >12時間 >日本文化はハイコンテキストである。
そうですね。 [高文脈文化・ハイコンテキストと低文脈文化・ローコンテキストの比較の例] 《高文脈文化》の特徴: 言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。/ 曖昧な言語 / 一般的な共通認識に基づく / 双方の合意に基づいた契約でも状況によって柔軟に変更される。/ 感情的に意思決定される/沈黙は不快ではない / 《低文脈文化》の特徴: 伝達される情報は言葉の中で全て提示される。/ 正確性が必要とされる言語 / 言語に基づく / 双方の合意に基づいた契約の変更は容易ではない。/ 論理的に意思決定される / 沈黙はコミュニケーションの途絶として不快 / 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
>一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。
日本文化の真骨頂は国際社会では通用しないですね。
>「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する! >*本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。 >発見された日本美 >こんなふうに、明治の「学び」は欧米主義一辺倒だったのですが、一方、意外なこともおこりました。 >ハーンやフェノロサやコンドルのように、日本の実情を取材にきた作家、日本に欧米の美術や建築を教えにきたお雇い外国人が、初めて見る日本の文化に驚きの目を見張ったのです。 >そして、この目を見張るほどの文化を欧米のロジックやテクノロジーが壊してしまうのではないかと心配した。
西洋かぶれの日本人が多いですからね。
>ラフカディオ・ハーンは松江で日本人の小泉節子と結婚し、日清戦争と日露戦争のあいだの明治29年(1896)に日本国籍をとり、小泉八雲として日本のしきたりや昔話を英文にするためペンをとりました。 >『日本の面影』『心』『怪談』は傑作です。 >アーネスト・フェノロサはハーバート・スペンサーの社会進化論をひっさげて来日した俊英の学者でしたが、日本の仏像や日本絵画を見てびっくりし、岡倉天心とともに日本人が誇るべきはそういう日本独特のアートだと考えました。 >天心は『茶の本』『日本の目覚め』『東洋の覚醒』などを書き、欧米のリクツでは日本文化の精髄は説明できないと強調した。
西洋の文化に対する、下位の文化 (subculture) でしょうね。
>丸の内に煉瓦街を出現させた建築家のジョサイア・コンドルは、片山東熊(赤坂離宮・東京国立博物館表慶館など)や辰野金吾(日本銀行・東京駅・奈良ホテルなど)らを育て、かれらに洋風建築の精髄を教えるわけですが、自身は日本の絵画や三味線音楽に痺れ(端唄や小唄!)、河鍋暁斎に日本画を学んだり、都々逸の本を英語で出版したりしたのです。 >ハーンやフェノロサやコンドルが見いだした日本の美は生活の中に生きていたり、徒弟的に師から弟子に伝えられたりしてきた技法やセンスにもとづくもので、教育的に継承されてきたものではありません。
教育では継承は無理ですね。それは言語を介していないからです。
>「生」と「技」と「美」がつながっていたのです。 >かれらはそこに感動したのです。
そうでしょうね。言語を介することのない文化がこの世に存在するのですから。
>それまで外国にあまり知られていなかった浮世絵が注目され、大量に海外流出してジャポニズムとして話題になっていったのもこの時期です。 >浮世絵も日本人には美術価値よりも江戸社会の風景や風俗を写したものとみられていたにすぎなかったのが、外国人にはたいそう特異な表現力の賜物として評価されたのでした。 >しかしながら政府が学校の先生や生徒にもたらそうとしたものは、日本人がたいせつにしてきた「生と技と美」のつながりを解釈できる能力の提供ではなかったのです。
そうですね。日本は低文脈文化に強く押されていましたからね。
>少なくとも「学制」としてはそういうことをほとんど重視しなかった。
言語を介することのない文化は学校制度では継承できませんからね。
>かわりに明治近代の学制が強調したのは何だったのか。 >「教育勅語」でした。 >これからの日本人が大日本帝国の国民(臣民)として守るべき歴史観と道徳観を公式見解にしたような勅語です。
そうですね。日本人はあくまでも序列社会の序列人間ですね。 思考を停止しているので無哲学・能天気ですね。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。
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