現実の内容は過不足なく成り立っている。もし成り立たないことがあれば、事実関係調べが行われて訂正される。
理想 (非現実) は現実よりも優れている。優れていなければ理想ではない。
理想の内容も過不足なく成り立っている。そうでなければ、考えではない。それはただの出鱈目である。
現実の内容には実感がある。気分・雰囲気は現実の内容であるが筋がない。その行動は恣意になる。已むに已まれぬ大和魂である。
非現実の内容を脳裏に持たない者は、実感に酔い雰囲気に飲まれる運命にある。何事も実感が頼りである。'理性的になれ’ の忠告もむなしい。
非現実の内容には実感がない。現実離れがして信じられない。頼りにならない。だが、理想には筋が通っている。筋を見落として励む努力には、現実的な報酬がない。ともすれば、日本人の努力には報酬がない。むなしい。それは、非現実の内容を考えとして持たないからである。
考えの成否は、矛盾の有無で決まる。日本人の短所は、考えの成否を議論の目的にしていないことである。現実感覚・実感の強さを主張の根拠・成否にしているのである。だから、その努力は伝統的な歌詠みのようなものになっていて、危急存亡の際には何とも呑気なことである。何が過ちであったかを理解することもできない。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
.