2025年06月13日(金) 

 

>シュフーズ   >小泉進次郎のコメ卸業者の異常な利益率公表に『木徳神糧』が “やってない” 異例の声明を発表し話題に「じゃあなぜ出荷するコメがなかったのに備蓄米放出後に突然コメが並ぶんだ?」「1年で価格が2倍にもなって農家にお金が入ってないなら、流通か小売が儲けているとしか言いようがない。」   >シュフーズの意見・   >6時間・   

>2025年6月5日の国会で、小泉進次郎農林水産大臣が「コメ卸大手の営業利益が前年比500%」と発言したことを受け、該当企業とみられる木徳神糧が6月11日に異例の声明を発表しました。   

>声明では、「不当な価格操作などは一切行っていない」と強く否定しており、ネット上でもさまざまな声が上がっています。   

>小泉大臣は5日の国会答弁で、具体的な企業名は挙げなかったものの、コメ卸業界の一部企業が異常な好業績を上げていると指摘。   

>「営業利益はなんと対前年比で500%ほどになっている」と述べ、コメの価格高騰の背景に卸業者の動きがあるのではないかという見方を示しました。   

>この発言は瞬く間にメディアやSNSで取り上げられ、「誰のことを指しているのか」といった声が多く寄せられました。   

>これを受けて、コメ卸大手の木徳神糧(きとくしんりょう)は、6月11日に鎌田慶彦社長名義で声明を公表。   

>「弊社が市場価格をつり上げたり、買い占めや出し惜しみによって流通を阻害したといった事実は一切ございません」と明確に否定しました。   

>異例とも言えるスピードでの声明発表に、関係者やネットユーザーからはさまざまな意見が寄せられています。   

>この話題に寄せられたネットの声   

>「ではどうして米の販売価格が前年比2倍なのか教えてください」   

>「米を溜め込んで価格の高騰を狙ったり、出し惜しみをして価格上昇を待ったのが、国民感情を逆撫でしたと思いますよ」   

>「コメの卸業者はもっとあるわけで、、黙ってる他の業者はどうなんですかね」   

>「じゃあなぜ出荷するコメがなかったのに備蓄米放出後に突然コメが並ぶんだ?同業他社に聞いてみなよ」   

>「前年比で347%の利益増。   

>少なくとも昨今の急激な米価高騰による恩恵があったのは確かなのでは?」   

>「1年で価格が2倍にもなって農家にお金が入ってないなら、流通か小売が儲けているとしか言いようがない。」   

>この話題には数多くの意見が寄せられていました。   

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望を与えることがない。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数12 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/06/13 16:30
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