2016年02月22日(月) 

 

>「私は「ずっと戦後でいいんじゃないの?」と思います。戦後70年、100年、200年…。「戦後」が続くことは、日本が戦争しないということだから。「もう“戦後”じゃないんです」みたいな言葉には、危機感を覚えます」

 

日本人には世界観がない。考えの内容が ‘グローバル’ (global: 全地球的) にも ‘ユニバーサル’ (universal: 全宇宙的) にも達していない。この世の ‘あるべき姿’ が脳裏に描かれていないからであろう。日本が (自分さえ) 善ければ、の発想の原点になっているのである。内容が、哲学 (非現実) に成らずして、処世術 (現実) になる。昔の修身教育・個人道徳のようなものか。自己中心的な人間の自己満足が目的になっている。米軍が身体を張って日本を守るというようなことが、この世の ‘あるべき姿’ になるであろうか。逆も成り立つ考え方か。現実の中に埋没してばかりいないで、広い宇宙を覗いてみる勇気はないのか。我が国においては、とかくこの世は無責任。国がひっくり返っても責任者は出なかった。

 

>「いつの間にか、大きな力に巻き込まれていく怖さを感じる。なんだろう、今聞こえてくる足音は」「あの戦争も、人々が『変だよね』と感じているうちに始まってしまったのではないのか」

 

あの戦争は、誰の意思により始められたか。’いつの間にか’ というけれど、宣戦布告はなかったのですか。

意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制がないので、日本人には意思がない。我が国には、神の意思もなければ、人の意思もない。人の意思を容認しない社会においては、加害者意識 (罪の意識) はなくて、被害者意識だけがある。アニマルのようなものか。意思(will) はなくて、 恣意 (self-will) がある。意思には文章があるが、恣意には文章もなく意味もない。それでは、説明責任は果たせるはずもない。意思のある行為をしていなければ、何が誤りであるかを理解することができない。だから、深刻な反省にも至らない。そして、過ちをくりかえす。’安らかに眠ってください’ は、ただ上辺だけの言葉である。心の底には届いていない。過ちを避ける努力も根性も見られない。浅薄な人間からは、浅薄な言葉しか出てこない。ずっと戦後でいいんですか?

 

 

 

 

 

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閲覧数848 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/02/22 06:53
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