>学校での「理解させる教育」が、近代観念を刷り込む(=染脳する)ために在ること、即ち理解脳=暗記脳を形成することで本来の思考を停止させ、頭を錆付かせるために在ることを知らなければならない。316676
同感です。 他人の考えた筋道を、ただ暗記することだけでは、創造力の育成には繋がりませんね。 では、なぜ日本人は暗記に力を入れるのですか。
日本語は、実況放送・現状報告のための言語で、発言が個人的に違った内容になることはありえない。 現実の内容は、過不足なく成り立っている。見ればわかる世界の内容である。現実的である。 だから、日本人は、現実肯定主義者になっている。
本来の思考をさせると、個人個人で内容が違ったものになる。頭の中の内容 (非現実) は、頭の外の内容 (現実) とは必ずしも同じにはならないから、現実離れがしている。個人の考えを大切にする方針が、個人主義である。没個性的な社会で個人主義を力説すれば、利己主義と間違えられる。 現実肯定主義の日本語脳では、非現実の内容を考えることが難しい。誰にも信じられない。 日本式の考え方で行けば、現実の内容であれば、それは正しい。そうでなければ、その発言は嘘である。
近代観念というのは、哲学である。哲学は、非現実の内容である。これは本来の思考である。 日本人は、非現実の内容を考えることはできない。というのも、非現実の内容を搭載する構文が日本語にはないからである。非現実の内容は、時制のある文章の内容になる。だが、日本語には時制がない。だから、日本人には非現実の内容もなく、哲学もない。近代社会においても、無哲学・能天気を持続している。
考えることのできない内容を頭に詰め込むには、うのみにするしかない。そして、理解したと見せかけるのである。だから、猿まねの理解は、本当の理解ではない。日本語を使っていては、時制を獲得できない。本来の理解には至らない。我が国には、その難点を教える人がいない。日本語脳の持ち主には、その難点を理解する人も存在しない。
>懸念されるのは、自民党の憲法草案で基本的人権を巡り、*天賦人権性が否定されていることだ。これは近代の人権観念の端的な否定であり、見過ごせない。立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、これらを後に受け入れた日本を含む国々では反発を呼ぶこともある。しかしこうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならない。 (京都大学教授 曽我部 真裕)
*天賦人権説 (てんぷ じんけんせつ) 人間はうまれながらにして、平等の権利をもっているとする説。16世紀末にいわれはじめ個人主義・自由主義的国家観のもととなる思想。
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