2016年08月27日(土) 

 

>日本では対話とか意味のある会話がほとんど話されないと思いませんか。

 

同感です。腹にたまっているものは、整理がつかないから話されないのでしょうね。

 

>日本人は対話が本当は好きじゃないのですよ。

 

そうですね。’ああいえば、こう言う’ という結果になりますからね。

 

>ケンカになりますからね。

 

つかみどころのない人間を相手にしていては、喧嘩の対象にしかならないでしょう。

 

>しかし創造性が養われるのはテーゼとアンチテーゼのこの対話のなかですからね。

 

日本人は、唯一の正解の存在を信じているから、自分と反対の見方をする人は、好きになれないでしょうね。意見が一つであれば、心が休まる。

個人に関する各種各様の話の筋 (矛盾のない内容) を確かめてみる習慣がない。個人主義・世界観が考えられないから、個人意見そのものに興味を持たない。

 

>創造性そのものが妨げられますね。

 

正しい考えは、矛盾のない考え。誰に気兼ねすることもなく、自由に新しい内容を話したら良い。結論はリーズナブルの範囲内に収まることでしょう。

 

>日本の学問が点と部分でしか発達しなかった大きな理由は意義ある対話が欠けているせいじゃないですか。

 

同感です。

現実の世界は、過不足なく成り立っている。見ればわかる。

それと同じように、過不足のない内容を脳裏における非現実の世界にも成り立たせることができれば、それは哲学である。高尚な内容である。見てもわからない。

失敗すれば、点と部しか残らない。

考えに関する個性は認められないから、日本人には意義ある対話がないのでしょう。

 

>・・・・科学者が小説家や会社社長と対話することとなると、日本人はそういう出会いを楽しみませんね。

 

畠 (専門分野) が違うので、話 (現実) が合わない。小異 (現実) の中には期待される内容は何もない。哲学 (非現実) であれば、大同がありうる。だが、無哲学・能天気の民には、その見込みもない。

 

>それで同じような人間がいつも同じような場合に集まるので、話はなんの役にも立たない。

 

同感です。

発言内容の一致を心強く感じているでしょうね。唯一の正解の下で異口同音の練習により鍛えられていますからね。これは、言語・教育の問題ですね。

 

 

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閲覧数820 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/08/27 17:30
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