2016年11月11日(金) 

 

>民主主義を運営するには、意見の言える、話し合いのできる個人が必要です。

>そういう、意見の言える個人にたどり着く前に、一人の人間としてのまとまりのところで、私たちはぐちゃぐちゃなのではないでしょうか。

 

同感です。

私達には、人間教育が必要です。

人間のできた人は、高尚なことを言います。高尚なことの内容は、非現実です。

人間のできていない人は、低俗なことを言います。低俗なことの内容は、現実ばかりです。

 

‘人は、平等に作られている’ といえば、その内容は非現実であり、高尚です。

‘人間は、万事不平等である’ といえば、その内容は現実であり、低俗です。

低俗な内容は処世術になり、高尚な内容は哲学に成ります。

 

低俗な内容は一義的に定まり、暗記による学習の対象になります。

高尚な内容は、個人・個人で異なり、思索による学習の対象になります。持論のある人たちの議論を可能にする学習であります。

 

現実の内容は、実学 (技術) として教育されます。

非現実の内容は、英米流の高等教育機関で学習されます。これは、人間教育であり、教養教育であります。日本の大学では哲学ができないので、四年間、学生は学内で遊ぶことになります。

哲学に失敗すると、考えに一人の人間としてのまとまりがなく、’ああ言いえば、こう言う’ といった人間なります。頭でっかちでつかみどころが無い、ぐちゃぐちゃな人間になります。相手からの信頼も得られません。ぐちゃぐちゃな人間がさらに職業教育を受けても、高度な職業人にはなれませんね。

 

人間には、世界観が必要です。時制により作られる過去・現在・未来の三世界の文章は、非現実の内容です。現実離れをした内容から、矛盾を排除して正しい思考を得る訓練が必要です。この訓練に成功すれば、教養のある人になれます。哲学博士 (Ph.D.) にもなれます。

訓練に失敗した人の発言は、空想・妄想の類にとどまります。だから、我が国は、漫画・アニメの大国になりました。

現実の内容しか頭の中にない人は、’今だけ、金だけ、自分だけ’ の生活になります。処世術ばかりの生活では、お先真っ暗です。

 

非現実の内容は、大同になります。だから、現実の小異を捨てる動機を自他ともに与えることになります。

自分自身の大同の内容を示すことにより、相手の理解を得ることになります。各人が小異を捨てる機会を得て大同団結し、民主主義が成果を上げることが可能になります。このようにして、教養のある人は、指導性を発揮することができます。

小異を捨てて、大同につく事により、大勢の人が未来社会の建設に協力関係を築くことが可能になります。

我が国に、明るい未来が訪れます。

 

 

 

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閲覧数1,212 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/11/11 05:35
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