2016年12月09日(金) 

 

 

 

>日本で「学歴社会」が成立したわけ

 

‘訳あり’ ですね。

 

>中学受験シーズンが終わり、各塾が競うように合格実績を掲げている。>日本全国には約5万軒の塾があると言われている。>東大生の約85%、早稲田・慶應・一橋を含む主要難関大生の約95%が塾通いを経験しているというデータがある。>2009年に東大家庭教師友の会が実施したアンケートの結果だ。>日本の学力トップ層の少なくとも9割前後は塾に通っていることになる。>日本の「エリート頭脳」は、塾なしには育たないのが現実だ。

 

我が国のエリートは、特殊な頭脳の持ち主なのですね。

 

>一方で、受験競争を煽るものとして、世間一般の塾に対する印象はあまり良くない。

 

人間序列を助長しますからね。

 

>しかし塾が勝手にできるわけがない。>世の中のニーズに応える形で発展した経緯がある。>塾は、日本の教育の平等性の産物であり、学校教育を陰で支えるパートナーでもあるのだ。>好景気による知的生産層の拡大で、1970年代に日本の高校進学率は9割を超えた。

>それは、全国津々浦々に教育が平等に行き渡ったことを意味している明治維新以来の念願であった。>一方、日本の教育制度は単線型といわれている。

>小学校、中学校、高校、大学と、進学のルートはほぼワンパターンである。>学ぶ内容も、学習指導要領と検定教科書によって、全国で標準化されている。>つまり同世代のほぼ全員が、基本的に1本のレールの上を行く。バイパスはない。

 

同じ内容を脳裏に詰め込む教育ですね。発想は個人的なことであるが、日本には個人主義がない。だから、発想は尊重されない。

 

>しかしテストをすれば当然点数に差がつく。順位が生まれる。

 

身長や体重の個人差のようなものですね。計測すれば、差の存在が判明する。

 

>平等な環境が与えられているはずなのに、隣の生徒より得点の低い者は努力不足ということになる。

 

‘努力・努力・努力’ ですね。’頑張って’。立身出世ですね。

 

>逆に言えば、テストで人より良い点を取った者はそれだけ努力をしたのだから、報われて当然という理屈が成り立つ。

 

序列争いが無ければ、折角の努力も無駄となる。オリンピック・ゲームのようなものか。

 

>それはさらに、偏差値が1つでも高い者が偉い、偏差値が高い学校のほうが上等という価値観をもたらす。

 

‘上とみるか、下とみるか’ の価値観ですね。日本人の強迫観念になっている。人を見損なってはいけない。日本語には、階称 (言葉遣い) がある。

 

>こうして「学歴社会」が確立した。

 

学歴でなくても、段や級はありますね。個性を無視した人間序列は、日本人の金科玉条でしょう。同次元で序列を争うのは、マニュアル組の人間の特性ですね。我が国は、実学 (技術)・実社会しか理解できない人たちの国ですね。

 

日本語文法には時制というものがない。だから、自由な正しい発想というものができない。発言は、常に実況放送・英語には時制がある。

自由な発想は非現実の内容で、時制のある文章の内容である。時制ある文章が作文できなければ、正しい (矛盾のない) 考えはできない。正しい考えができれば、哲学になる。できなければ、空想・妄想になる。思索のときには、日本語は雑念・空体語になっている。

我が国には、英語による英米の高等教育は根付かずに、学問の大国にはならなかった。その代わり、アニメ・漫画の大国になった。

 

日本人は、’議論をすれば喧嘩になります’ という。喧嘩をするためには、議論が必要なのか。議論のためには、喧嘩をしなければならないのか。和をもって貴しとなす。足して二で割る喧嘩両成敗になるのか。これでは議論はできない。

日本人は、無哲学・能天気でいる。大同のない議論では、小異を捨てる理由は見つけられない。だから、相手に対する説得力はない。高尚な話はない。雄弁ではない。国際社会の指導者にはなれない。小異による激突に明け暮れて、何事も折半による痛み分けとなる。低能である。

日本人の未来は、将来 (まさに来たらんとす)の話ばかり。遠い未来 (いまだ来たらず)の話には至らない。’だろう・だろう’ の推測ばかりでは、確かなことは何一つ言えない。’今だけ、金だけ、自分だけ’ ということか。ナウな感じがする。

‘かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、あたらしいものは何一つない。’ (旧約聖書 コヘレトの言葉 1章 9節)

現実の内容は頭の外にある。見ればわかる。言葉による写生画になる。世界は千変万化して、久しくとどまりたるためしなし。だが、現実は実は変化していない。現実の中に新しいものはない。内容が低俗である。実況放送・現状報告の実体語の内容には進歩がない。だから、退屈男・女が出てくる。学生は4年間大学で遊んでいる。

非現実の内容は頭の中にある。外から見てもわからない。言葉による写生画にはならないので、話を聞いてもわかるとは限らない。英米流の高等教育の成果である理解力が必要である。内容が高尚である。現実離れをした内容であるから、日本人には信じることが難しい。

真理 (非現実) の内容は永遠に続くように見える。しかし、考えは変わる。だから、非現実の内容の中には新しいものがある。天動説ののちに地動説が出るようなものである。そして、その真理の内容は進化・発展する。真理の探究が可能になる。若者よ、頭を鍛えておこう。

 

 

 

 

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閲覧数540 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/12/09 21:38
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