2017年05月03日(水) 

 



>四角い小さな漢字の中に、二つの異なる世界が存在している。
>一つはもともと中国で造られた中国製、もう一つは日本で改造された日本製である。
>この二つの世界は、「あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる」ようなもので、コミュニケーションにはとても便利だ。しかし多くの場合、この両者は、うわべは親しそうに見えて実は心が通わず、似て非なるものなのである。

そうですね。日本人は漢字を借りて使っているのですからね。

(中略)


>日本語の中で使われる漢字の語彙には、中国人の想像を超えるものがほかにもたくさんある。
>たとえば、中国語での「無理やり」を意味する「勉強」は、日本語では「学習」の意味で使われる。

 

そうでしょうね。私が ‘ベンチャン’ (勉強) というと、中国人はニヤニヤしています。

 

>中国語で「夫」を意味する「丈夫」は、日本語では「頑丈」の意味だ。
>このように、表面の「毛皮」を傷つけることなく、中身の「肉」をすっかり「すり替え」てしまう日本人の知恵と想像力に、感心せざるを得ない。

そうですね。勝手な解釈は、日本人の得意とするところですからね。我々は自己慶賀には事欠かないです。

>しかし、われわれ中国人は、これに驚く必要はない。

>率直に言えば、現在の中国で使われている中国語の語彙の多くは、20世紀初めに日本から導入されたものだからだ。
>たとえば、「金融」「投資」「抽象」など、現代中国語の中の社会科学に関する語彙の60~70%は、日本語から来たものだという統計がある。

日本語から来た漢語を使わなくては、横文字から中国語への翻訳はできませんね。
 
>漢字文化圏に属する多くの国家や民族を見回して見ると、漢字をこのように創造的に「すり替え」、もう一つの漢字王国を樹立し、かつまた中国語へ「恩返し」しているのは、日本だけだ。

 

そうですね。中国人は大いに助かりましたね。

>日本のすごいところは、中国の漢字に対して、受動的にそのまま受け入れるのでもなく、愚かにも高慢にそれを拒否するのでもない、自発的にそれを手に入れ、徹底的にそれを消化した後、自分の必要に応じて大胆な改造を行い、自分の言語にしてしまうところだ。

そうですね。今でも外来品の改造努力は続いていますね。

 

>だからこそ漢字は、日本にしっかりと根を下ろし、西洋文化の猛烈な襲来に耐えることができたのである。

しかし、我々日本人は、横文字文化を飲み込むところまでは行かないですね。
漢字は漢人 (中国人) の考えを示すために造られたもので、横文字文化の内容を表すために造られてはいません。

だから、それを補うために和文の中にカナ文字を増やしている。残念なことに、中国人はカナ文字の日本語が嫌いです。

>客観的に見れば、この奇跡は、かなりの程度、日本が島国であるという特殊な地理的環境によっている。

 

そうですね。大陸の中に浮かぶ城郭に囲まれた都市国家では、島国のようなことはできませんね。

 

>広大な太平洋が天然の要害となり、異民族の鉄騎兵の侵入を阻止したばかりでなく、文化的に異民族に同化される運命から逃れることができた。

 

幸いにも、海岸が頑丈な国境になっていました。

 

>大陸とも適当に離れているため、日本は必要に応じて、自分より先進的な中国の文化を摂取し、ゆっくりとそれを咀嚼し、消化して改造することができた。

 

そうですね。時間的な余裕がありましたね。つかず離れずでしたね。

 

>異文化をどう受け入れるか、その主動権は完全に自らの手中にあったのである。

 

ほぼ完全に手中にあったのでしょうね。

>これと同時に、1200百年前、日本は漢字を大規模に導入するとともに、「ひらがな」を発明した。

>ここで日本は自分の文字言語を持った。
>「ひらがな」は完全に漢字の草書体に啓発されて造られたものではあるが、大和民族の魂の深いところにある必要性から発したものでもある。

漢文では和文の内容が十分表現できませんからね。

>日本人から見るとおそらく、基本的に一つの漢字に一つの音がちゃんと対応している四角い漢字は、柔らかくて滑らかな日本語の感覚や、長さにこだわらない語彙とは多少隔たりがあり、曲線が美しく、簡潔な「ひらがな」こそが、日本人の発想や言語感覚により合致すると映るのだろう。

そうですね。四角い漢字は、中国の政治家の顔つきと似たところがありますね。

>「ひらがな」は日本語の形を完成させた。

 

平仮名は表音文字ですからね。韓国のハングルのようなものです。

 

>それを用いて発音を表記することができ、漢字の発音を日本化させた。

 

ただし、中国では、原則として漢字は一字一音ですが、我が国では漢字は多音です。振り仮名が欠かせません。

 

>また、直接、日本固有の語彙を書き表すこともでき、助詞として用いてセンテンスを構造することもできる。まさに一石三鳥とも言うことができる。

 

経文のような漢文の棒読みでは日本人には通じませんからね。中国人なら、意味が十分分かるのかしら。

>「ひらがな」の創造は、日本語が自分の「形」と「心」を探し当てたことを意味する。
>これによって漢字は第一線から退き、一つの重要な材料として日本語の構造の中に組み入れられた。
>この時、漢字の固有の意味は、時間の流れとともにひっくり返されたり、「すり替え」られたりすることが必然的に発生した。

>全体からいえば、漢字の語彙の意味が厳格で重厚な歴史の含蓄を持っているのに比べ、日本語の漢字の語彙は明らかに軽く、生き生きとしている。
>使い方もそれほど厳格ではなく、通常、いくつかの異なる漢字を使って一つの日本固有の語彙に表している。

>それによって人々はさらに、一種の遊びの味を感じるのである。

我が国の漢字には、中国流の伝統が無く、日本流の勝手な解釈があります。

>漢字に対する違った考え方が、二つの異なる漢字の世界をもたらした。

>その優劣は、一概に論じられない。しかし、西洋文明が東側に浸透してきた「近代化」の歴史背景の中で見れば、その優劣ははっきりと示されている。
>当時、激しく湧き起ってきた近代化の流れと西洋の科学文化に直面した中日両国の学者たちは、まったく異なる姿勢と反応を示したのである。

中国は漢字の本家本元です。日本では、漢字はあくまでも借り物であり、意味する内容はカナ書きでもよいのです。

>たとえば、西洋の科学に関する著作を翻訳する際、清朝末期の中国の学者は「中学為体、西学為用」(中国の学問を「体」とし、西洋の学問を「用」とする)という文化的な信念を堅持し、中国の古典を引用して西洋科学の概念を既存の語彙に置き換えようとした。

 

中国の学問を「体」としていては、西洋の学問を「体」とすることはできませんね。


>例えば現在の「経済学」を、「計学」あるいは「資生学」と翻訳したり、「社会学」を「群学」と訳したりしたのである。しかし結局は、どうにもならなくなってしまった。

漢字は漢人の内容を表意するために造られたものです。西洋人の内容を漢字で表意することは出来ないでしょう。

>しかし日本の学者は、実用的で柔軟なやり方で、「文字本位制」の制限を受けずに、意訳の方法によって、数多くの多音節の語彙を作り出し、みごとに西洋の概念を置き換えることに成功した。

>これによって、日本が西洋に学び、「近代化」の道を歩んでいくうえで、言語の面で道路が舗装されたのだった。

日本人は表意文字の作成手法を中国からほとんど学んでいなかった。だから、文字本位制も学ばなかったのでしょう。日本人は民族のしきたりに従って、以心伝心・不立文字でやっていました。

>もし日本が、漢字を借用して西洋の概念を置き換えることをしなかったら、現代の中国語はいったいどのようになっていただろうか。

>おそらく今よりも寂しいものになっていたのではないだろうか。

>多分、強い刺激や栄養に欠けているため、すばやく「近代化」することが難しくなったに違いない。

そうですね。日本人にとって漢字はあくまでも中国からの借用であります。勝手な解釈でやっていました。国字はほとんどありません。漢字創作能力には欠けていましたね。

>こうした角度から見れば、日本語の中国語への「恩返し」の功績を、われわれは決して忘れてはならないのである。

 

中国人は救われましたね。めでたし、めでたし。

 

 

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閲覧数470 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/05/03 15:44
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