>「私のクラスメートはみな、『小さな兵士』として靖国神社に入れられ、首相に参拝されるなんて思わなかったはず。憲法無視は明らかなのに、裁判所は認めず、とても心外です」
そうでしょうね。同感です。
>4月28日、東京地裁。東京都品川区の関千枝子さん(85)は無念さをにじませた。 >安倍晋三首相による2013年の靖国神社参拝は憲法20条の政教分離原則に反するとして、国や首相、神社に、今後の参拝差し止めなどを求めた訴訟。 >地裁は違憲かどうかを判断せず、関さんらの訴えを退けた。
残念ですね。良い知恵はないものですか。
>72年前の8月6日。広島県立広島第二高等女学校の2年西組は、空襲による延焼を防ぐため、建物を壊しておく国策の「建物疎開作業」に駆り出されていた。 >関さんはたまたま病気で休み、郊外の自宅にいた。 >だが、クラスメートの39人は爆心地近くの広島市中心部で被爆し、うち38人は2週間以内に亡くなった。
お気の毒でしたね。痛ましいことです。
>戦後、新聞記者になり、遺族らを取材するうちに、クラスメートたちが「準軍属」と認定され、靖国神社に合祀されたことを知った。 >「ありがたい」と歓迎する遺族もいたが、国策で建物疎開作業を強いられた少女たちが、かつての国家神道の中心施設とされた靖国神社にまつられたことに疑問がわいた。
その疑問は、当然のことでしょうね。
>「私も学校を休んでいなかったら、被爆死が『名誉の死』になり、英霊としてまつられていたと思うと、ぞっとした」
そうでしょうね。理解できます。
>戦争放棄の憲法9条、国民主権の前文と比べ、政教分離原則や信教の自由の意義は知られていないと感じる。
同感です。
>だが、関さんは「憲法の政教分離原則は9条と表裏をなす平和思想。首相が靖国神社を特別視して参拝し、戦没者を英霊としてたたえることは、戦前の軍国主義につながる行為で許せない」。 >控訴し、戦い続けるつもりだ。(2017.5.3 朝日新聞)
首相が戦没者の追悼をするのは良いが、靖国神社に偏るのは良くないですね。政府は、自主独立の態度を堅持すべきです。優柔不断・意志薄弱ではいられない。 政治指導者は、この国の 政教分離の ‘あるべき姿’ を、自らの信念として国民に語り掛け説得しなくてはならない。さもなければ、時流に流されます。ずるずると太平洋戦争のときのようになってゆきます。無哲学・能天気ではいられない。 ---------------------------
>朝日新聞が取り上げる人物は、その素性も明かさずに、まるで普通の人のように取り上げるが、そのほとんどは“赤い活動家”である。 >赤い活動家だからこそ「戦い続けるつもりだ」という言葉が出てくるのだ。その前には「平和という言葉で騙して、国家破壊するために」とあるのだ。
‘、、、、だまして、国家破壊は、、、、’ の解釈は、穏やかではありませんね。
>関千枝子は、日本共産党の機関誌『赤旗』には何度も取り上げられ、反日左翼紙『週刊金曜日』や『日刊ベリタ』にも取り上げられ、また全労連の集会に参加したり、女性九条の会世話人をしている元毎日新聞記者の反日左翼活動家だ。 >明らかにただ者ではない。
闘士かもしれませんね。
>関千枝子氏は「たまたま病気で休み、郊外の自宅にいた」被爆者だという。 >85歳になっても反日活動して、今後も「戦い続ける」と言うのだから、エネルギッシュなほど元気である。 >科学的にも低線量は元気の源と言うが、原爆投下時に郊外の自宅で受けた低線量のお蔭で高齢になっても元気に反日左翼活動ができるのかもしれない。
お元気で結構なことです。
>その関某は、かつての仲間が靖國神社に祀られていることに「ぞっとした」らしい。
彼女が「ぞっとした」のは、靖国神社という一宗派に偏っていたからでしょう。
>しかしぞっとしたと言うならば、国際法違反の残虐兵器で無辜の民間人を大量に大虐殺したアメリカにこそ言うべきだろう。 >しかも彼らがやったのは人体実験といえるものだ。
戦争中はお互いに人体実験をやり合っていたのでしょうね。正気ではない。
>アメリカが言う「戦争を早期に終わらせるために原爆を使った」ということを信じていたら話にならない。 >逆に言えば、戦争を終わらせるためならば多くの人を殺してもいいということを正当化することになる。
私は、アメリカの「戦争を早期に終わらせるために原爆を使った」という言葉を信じたいですね。私自身が、政府主導の一億総玉砕から逃れられたのですから。感謝しています。
>関某はどうしてアメリカのことは言わずに、靖國参拝した安倍総理に矛先を向けるのか?
やはり、安倍総理が一宗派に偏っているからではないでしょうか。
>日本人の感覚としておかしいだろう。 >もしかしたら日本人じゃないのか。
昔の日本人ではないでしょうね。戦時であれば非国民でしょう。
>憲法20条の政教分離に反するというのであれば、まずは創価学会と公明党に言うべきだ。
それもありますね。しかし、創価学会と公明党は当該の慰霊とは直接関係が有りませんね。
>しかも戦後は靖國神社も「宗教法人」にされているが、これも戦前の別格官幣社に戻して国家護持すべきである。
我が国民は宗派を問わず、国防に協力しなくてはなりませんね。ですから、現在のように戦死者の追悼を神社に丸投げするような政策は良くないですね。他宗派を差別したことになります。
>そのためには憲法20条も正さなければいけない。
必要あれば憲法改正も必要ですね。憲法と聞いて、そのまま金科玉条 (大切な規則) を思い出すのは間違いでしょう。
>「政教分離」は政治と宗教の分離だが、神社は「神道」であり「かんながらの道」、つまり「道」であり、宗教の「教え」とは違うものだ。 >しかし、公明党や幸福実現党のように、戦後日本の政教分離は「宗教」は認めるが「神道」は認めないというおかしなままやってきたのだ。
神社は宗教法人として認められております。
>特に創価学会は池田教といわれるくらいの一神教であり、日本の神道とは相容れないものがある。 >創価学会の初代会長の牧口常三郎、二代目会長の戸田城聖は戦前に「不敬罪」と「治安維持法」で逮捕され、牧口は獄中死したため天皇陛下や神道は相容れない。 >そのためか、創価学会は神社のお守りを破り捨てたり、神棚を燃やしたり、平気でやるのだ。・・・
相手の宗教を認めなければ、地上に争いが絶えませんね。お互いに相手の宗教を認めれば、布教の必要もありません。
>「戦没者を英霊としてたたえることは、戦前の軍国主義につながる行為で許せない」 >これもおかしい。
同感です。戦死者の国防に対する意思を我が国民は高く評価すべきです。
>お国のために命を捧げた方々を英霊として讃えることは当然のことだ。 >どこの国も慰霊や顕彰は大切に行っている。
同感です。どの国の国民も、自国を護る義務を負っているはずです。
>そのことが「戦前の軍国主義につながる」という考え自体が間違いだ。
そうですね。戦争を国際紛争の解決手段に使うのが良くないということであっても、泥棒に用心する手段は必要ですね。
>そんなことを言っていたら他国は皆、軍国主義になるが、関某は他国のことは言わない。
他国に軍国主義の国がありますね。軍備をもたない我が国は安全であると考えているのでしょうかね。
>大体、戦前が軍国主義で許せないと言っていること自体おかしい。 >なぜ戦前に強い軍隊が必要であったのか。
そうですね。負ける軍隊では話にならない。敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
>当時のアジア諸国の置かれていた状態や白人のやってきたことを見れば答えは明らかだ。
誰がどのようにしてこの国の判断を誤り、戦を失敗に導いたのか、今でもわからない。 この国が、ひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。 若者よ、頭を鍛えておけ。
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