2017年09月22日(金) 

 

>海外から見た現代の日本人における上下関係は厳しいや硬いという意見が多いようです。

 

日本語には階称・言葉遣いというものがありますからね。上とみるか、下とみるかの世俗的判断ができないと、日本語も自由には使えません。

礼儀作法も序列作法になっていて、世俗の上下を心得ていないと、礼儀正しい日本人にはなれません。ですから、人を見損なってはいけないということになり、序列観念は日本人の強迫観念の域にまで達しています。序列なきところに、礼儀なしです。

 

>規律を重んじる反面、言いたいことを言えないような過度な上下関係だと見られているのが日本の現状なのかもしれません。

 

そうでしょうね。上意下達ですね。日本人には、意思がありませんから、上意は上司の恣意でしょうね。

 

>日本における上下の関係とは、もともとここまで「厳しい」や「硬い」というような関係性を持っていたのでしょうか?

 

‘下におれ、下におれ’ という掛け声をかけるところでしょうね。

 

>時代を遡って、江戸時代に日本に訪れ、華族女学校などで教鞭を執ったアリス・ベーコンの著書「japanese girls and woman」では以下のような様子が書かれています。

>“使用人は、自分の目に正しいと映ることを、自分が最善と思うやり方で行う。命令にたんに盲従するのは、日本の召使にとって美徳とはみなされない。(省略)

 

そうですね。使用人は、忖度 (推察) を働かせますね。恣意による行動をしますね。その行動様式は、現在の官僚と同じです。

 

>使用人は自分のことに責任を持とうとしており、たんに手だけではなく意思と知力によって彼女に従えようとしているのだ。”

 

使用人は、忖度 (推察) と恣意を働かせていますね。外国人の判断では、これは意思と理性判断のように見えますね。

 

>江戸時代では、部下自らが主体的に上司に同化し、何が期待されているのかを掴みに行くことで、単に上からの意見をそのまま鵜呑みにし、“命令”や“指示”として捉えるのではなく、さらに良くしていくにはどうする?という思考や行動をとっていたことがわかります。

 

上司は意思を表現できませんから、部下に意思を示すことはありませんね。しかし、上司は自己の恣意は示したのでしょう。今の役所のしきたりと同じですね。

 

>ここには上司の姿が書かれていませんが、上司も部下を心から信頼し、頼っていたという深い信頼関係が構築できていたということ。

 

信なくば立たず、でしょうね。四十七士の様なものかな。あるべき姿の世界観は持てないが、処世術ならある。

 

>また、部下がここまで期待に応えたいと思えるほどの上司の姿があったからこそだと思います。

 

名君ばかりであったとは、考えられませんけどね。部下はここで励むしかない。ほかに出世の道はありませんからね。

 

>江戸時代とは真逆な海外からのイメージを持たれるようになった現代の日本では、明治政府が協力に押し進めた忠・孝の規律精神だけが残ってしまい、信頼し合える関係が築けているかには疑問が残ります。

 

今も昔もあるのは序列制度でしょうね。明治政府は忠孝の掛け声を利用して、上意下達を国民に徹底したのでしょうね。人々は、序列社会の中で窮屈な生活を強いられていました。

 

>もともとの江戸時代の気質に立ち戻った上下関係を考え直す必要がありそうです。

 

忖度と恣意で成り立つ社会は、前近代的ですね。世俗の上下にとらわれて、責任制度が成り立ちません。先の戦争でこの国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかくこの世は無責任。上下の信頼はどうなったのかな。

 

 

 

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閲覧数440 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/09/22 23:17
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