机の奥にあった電卓に久しぶりに触ってみる。最近はスマートフォンの電卓機能を使うのがもっぱらで、見向きもしなかったが、その人の訃報に、その電子機器の労をねぎらいたくなる。小型電卓の開発で知られる元シャープの佐々木正さんが亡くなった。百二歳
▼かつて電卓は高かった。東京五輪の一九六四年、当時の早川電機(現・シャープ)が発売した電卓は自動車一台分の五十三万五千円。重さは二十五キロ。若い人には想像もできまい
▼六〇年代から七〇年代にかけての「電卓戦争」。その中で佐々木さんらは技術、低価格競争に挑んだ。「立ち止まらぬ人」だったという。集積回路(IC)、太陽電池、液晶画面。新技術導入をためらわぬ佐々木さんの判断力。同社が七七年発売した電卓は六十五グラム、価格は八千五百円まで下がった。電卓は短期間に身近な道具になった
▼古い電卓をもう一度見る。「電卓戦争」で開発された技術はやがてスマートフォン、コンピューター、ゲーム機などにつながっていく。電卓は日本を支える電子産業の礎であり、その人の功績の大きさを思う
▼ある若者が電子翻訳機を持ってきた。誰も見向きもしなかったが、佐々木さんだけは「おもしろいやつだ」とその技術に大金を出した。銀行に口も利いた
▼育てたのは技術だけではなく人もか。若者とは、ソフトバンクの孫正義会長である。
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私の始めて使った計算機は手回し式の物だった。
算盤が苦手の私は掛け算割り算は手回しの計算機をガチャガチャ回したのを思い出したあの時は便利なものだと思ったものだった、もちろん家での話ではない。