2018年02月15日(木) 

 

>『敗戦と天皇制、日本人とは何か』> 日本人にとっての長年の最大関心ごとだった『日本人とは何か』の問いも、1949年の第二次世界大戦での日本の敗戦が大きく影響したのは疑いない。>このときに日本人にとっての世界とは、『変え得るもの』では無く『変わり得るもの』と経験的に認識した(あるいは強制された)ことを、全国民的に確認したことに尽きるだろう。

 

そうですね。世の中が変わったのですね。

 

>日本人にとっての『世界』とは、欧米一神教世界や中国のように『改造』するためにあるのではなくて『解釈』するためにある。

 

日本人は、神のお告げを待っていたのですかね。

 

>『変えれ得る』と考えたのは例外的に極少数の共産党員程度で一般の日本人は誰も変えようとは望まなかったし、また変え得ようとは考えなかった。

 

お変りの無いことは、何よりのことですね。共産党員は、外来思想に気触れていたのでしょうね。

 

>一般の多くの日本人にとっては『変えれ得る』ではなく、自分が学校で学んだ教育勅語の『古今に通じてあやまらず』だったのである。

 

ローマ法王の無謬性の様なものか。

 

>天皇家は万世一系で未来においても千代に八千代に弥栄えるはずでその権威は永久的なものであると信じられていた。>あるいは永久的だと仮定されていた。

 

序列メンタリティに浸かっていたのですね。序列は永遠に続くという事か。

 

>ところが無条件降伏で万事が変わってしまう。>アメリカ占領軍は、これまで『永久不変である』と信じられていたもの(天皇の権威を頂点とする社会や精神の構造や国家体形)を根底からいとも容易く破壊してしまう。

 

神州不滅ではなかった。

 

>しかもそれに代わるべき民主主義の構築には決して熱心ではなく第二次世界大戦終了直後から、すぐさま今までの同盟国ソ連に対する冷戦を開始している。

 

アメリカ人は、共産主義が嫌いですからね。彼らは自由が大好きです。

 

>日本軍国主義の陸海軍は解体したが天皇の権威を頂点とする官僚組織は解体される事は無く丸々温存して、トップの首の挿げ替えだけでお茶を濁してそのまま自分(アメリカ)の(天皇の変わりにGHQを最高権威とする)統治機構に鞍替えさせ現在に至っている。

 

我が国民の序列メンタリティの利用ですね。

 

>有名な敗戦直後の米軍用従軍慰安婦や教科書の墨塗りの話も、決して占領軍の指示ではなくて日本側の忖度(過剰適応)の結果だった。

 

忖度 (推察) は、我が国民の誇りとするところですね。

 

>日本の官僚組織は優秀なので命令されれば即座に実行し、命令されなくても最高権威(アメリカ)に対しては忖度して先回りして実行する。

 

忖度・先回りは、出世の極意ですね。

 

>今の官僚組織が対米従属命で売国的なのは本質的な問題点で、このように敗戦時に自分の主人を乗り換えて生き残った歴史的なものだったのです。

 

態度を豹変させるのは、日本人の得意技ですからね。大切な処世術です。

 

>ところが占領時のアメリカは気前はよかったが曖昧な日本人以上に曖昧で複雑だったのである。

>本音(好戦的な帝国主義)と建前(基本的人権、民主主義、政教分離)の深刻な二重構造だった。

 

力は正義ですからね。Might is right. 力の見せ所は、正義の見せ所でもあるわけです。

 

>永久不変の絶対天皇制が、脆くも崩壊する現実を目の前で見た日本人は、『永遠であるものなど何も無い』ことを、『人間以外の何かが我々の世界を保証しているのではない』ということを、したがって『全ての文明は滅びる』ものであり、いわんや極東の島国の秩序は何時でも、『変わり得るものに過ぎない』ということを、変われば前の世界で通用していたものは後の世界ではまったく通用しなくなると言うことを、理論としてではなく経験として理解する。

 

現実は、見ればわかるということです。

 

>要するに、自分たちの永遠だと信じていた世界は相対的であると理解する必要があったのである。

 

目から鱗が落ちたようなものですね。

 

>しかもこの場合に一番決定的で問題だったのは、『世界は(自分たちによって)変えられる。』ものではなく、『世界は(誰かによって)変わる』ものだった経験であろう。

 

日本人には、意思が無い。意思は未来時制の文章内容ですが、日本語文法には時制が無いので、日本人には、意思がありません。ですから、自分に関する受動はあっても、能動は考えられません。

 

>敗戦による一種の革命は外部から突然きて起きた変化として受け止められたのであるから、それなら本居宣長の『もののあわれ』や『無常観』が再確認されたのだろうか。

 

伝統的なものの見方ですね。

 

>日本以外の他の国々では、歴史的意識は一つの世界をその内側から壊して別の世界を築きあげる経験の蓄積でしか獲得されない。>そのときには古い現在の権威は、来るべき新しい権威によって否定される。

 

そうですね。

 

>しかし1945年の日本の状況はそうではなかった。>来るべき新しい権威だった筈の『民主主義』は不完全にしか構築されなかったが、(永遠と信じられていた)旧来の秩序や生活の基盤となる権威の大部分は動揺し、くずれ、失われたのである。>このときに大多数の国民の意識の中で失われたのは『天皇の絶対的権威』ではなくて全般的な『権威そのもの』だった。

 

全般的な世俗の上下でしょうね。

 

>日本人の間に、民主主義の歴史相対主義ではなくて、目の前にあるどういう価値も信じないという末世的な現象が起きるのは当然の成り行きだった。

>この権威一般に対する国民の不信感は深刻で、今の新しい最高権威である戦後『民主主義』自体にも向けられたのは当然な成り行きであった。

>敗戦後に日本国でも民主主義が根づいたが、それは一面的表層的現象にとどまり、それ以前の社会の天皇の権威に代わる、『あらゆる価値を支える原理』としてでは無かった。

 

コンセンサス・デモクラシィーでしょう。なーなー主義かな。

 

>天皇を中心とした世界の崩壊により生まれた(民主主義原理を含む)権威一般に対する拭いがたい不信感(権威一般が信頼されない)虚無的な現在の危機的状況の克服に、日の丸君が代の強制や極右政治家安部晋三の復古主義(レジーム・チェンジ)などの、はるか昔に崩壊してしまったもの(天皇の権威)の復活によっては絶対に解決出来ないのは自明の理である。

 

日本人の脳裏に最終的かつ不可逆的変化が生じたのですね。

 

(略)

 

 

.  

 

 

 

 

 


閲覧数68 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/02/15 01:36
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