2018年03月29日(木) 

 

 

 

>アメリカの植民地であったフィリピンでは英語が使えないとビジネスマンとしても公務員としても教師としてもジャーナリストとしてもよい職には就けません。>だから、地位のある人たちはみんなみごとな英語を話します。

 

そうですね。日本人でも、フィリピンに英会話の練習に留学する人が大勢いますね。

 

>フィリピンの生活言語はタガログ語です。>でも、タガログ語ではビジネスをすることも政治や経済について語ることもできません。>そのための語彙が母語にはないからです。

 

我が国のように、カナ文字外来語に相当する様なものは、存在しないのですかね。

 

>フィリピン人のある大学の先生がこう語っていました。>「英語で話せることは実利的(practical)であるが、母語では話せないことは悲劇的(tragical)だ。」

 

フィリピンは、英語という第二言語の実利をたくさん受けているにもかかわらず、それは残念なことですね。

 

>なぜ悲劇的であるのか。>それはこのような言語環境に置かれている限り、フィリピン起源の政治理論や芸術運動が出現する可能性が絶望的に低いからです。

 

我が国では、漢字やカタカナ外来語などを入れて、日本語を太らせる努力をしているのですがね。フィリピンでは、母語を太らせる努力は出来ない状態にあるのですかね。

 

>知的なイノベーションは(ほとんどの場合)母語による思考から生まれてくるからです。>母語が痩せ細っていれば、知的なイノベーションは始まらない。

 

何かタガログ語文法には、我々外国人には知られていない致命的な欠陥 (?) があるのでしょうかね。タガログ語の基本的な文は、主語+述語ではなくて、主題+叙述ですね。

 

>例えば僕たちは母語でしか新語(neologism)を創ることができません。>新語というのは、勝手に作れるわけではありません。>条件があります。>それは生まれて初めて耳にした語であるにもかかわらず、聞いた瞬間に母語話者たちにはその語義もニュアンスもわかるということです。>だから、あっという間に広がる。

 

例えば、‘アジャパー’ というようなものですかね。

 

>これは外国語ではできません。>自分で新語を作ってみても(例えば、不規則変化は覚えるのが面倒だからこれからは“I went”ではなく”I goed”にしようと僕が提案してみても)「そんな言葉はない」と冷笑されるだけです。

 

そうですね。我々の忖度 (推察) 範囲を超えていますね。

 

>新しい言葉を創れないということは、新しい概念や新しいロジックを創ることができないということです。

 

例えば、漢人 (中国人) は、漢字を作って漢文を表す。新しい概念や新しいロジックには新しい漢字を使わなくてはならない。漢字の数を制限することは、中国人の母語の富裕化を阻害することになりますね。

 

>創造的なアイディアが思い浮かんだ時のことを思い出せばわかります。>それは「喉元まで出かかっているのだけれど、まだ言葉にならない」というもどかしさを伴う経験です。>アイディアは身体の奥の方から泡のように湧き出てくるのだけれど、まだはっきりしたかたちをとることができないでいる。>最終的にそれなりの言葉になるのですけれど、それは手持ちの言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、これまでそんな語義で使った前例のない使い方をしたことでようやく達成されます。

 

漢人は、前例のない漢字を作らなくては、それを表現できないですね。

 

>創造的な概念がかたちをとる時には母語もまた変容する。>知的創造と母語の富裕化は同期する。>言葉を使うというのは、そういう力動的なプロセスなのです。

 

そうですね。ギリシャ・ローマ時代の様なものですね。彼らの考えは、今でも西洋で生きています。

 

>道具を使うのとは違います。>鋏を手に持っている時にその新しい使い方を思いついたら、鋏がその思いに合わせて形状を変え、材質を変え、機能を変えるということはあり得ません。

>その「あり得ない」ことが母語においては起きる。

 

我々漢字圏 (日本・韓国・中国) の人たちは、漢人 (中国人) の力動的なプロセスの影響を受けていますね。

 

>それを考えれば、母語の運用がいかに生成的なものであるかが想像できると思います。>そして、この知的創造は(例外的な語学の天才を除けば)母語によってしかできません。

 

母語にもいろいろなものがあるようですからね。タガログ語の様な言語では、知的創造はそれほど容易ではないのでしょうね。

 

>既存の言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、たわめたり、それまでにない新しい語義を盛り込んだりすることは母語についてしかできないからです。

 

横文字外来語も立派な我々の母語ですね。外来語の力も借りて、母語を太らせた方が良いですね。英語の ‘presentation’ は、日本語の ‘プレゼン’ になるのかな。

 

>ですから、母語が痩せ細るというのは、その言語集団の知的創造にとっては致命的なことなのです。 

 

そうですね。知的創造には母語を太らせる努力が必要ですね。

 

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閲覧数654 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/03/29 22:46
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