2018年07月28日(土) 

 

 

>■欧米へのコンプレックスとアジアへのレイシズム

>國分:そこで白井君のビジョンを聞きたいのですが、日本国民はきちんと責任を取る近代的主体になるべきだと考えていますか。

 

‘とかく、この世は無責任’ の体制では、国際社会に通用しませんね。わが国は、国際的に責任ある主体になるべきですね。そうでなければ、浮かぶ瀬はありません。

 

>『国体論』は近代的主体を肯定しているように見えると同時に、そういう安易な解決策を拒否しているようにも見えます。>この点についてどう考えていますか。

 

日本人には意思がない。意思のない人には、責任がない。だから、責任を取る近代的主体にはなれません。これが大問題です。

意思は、未来時制の文章内容ですが、日本語文法には、時制 (tense) というものがありません。ですから、我々には未来時制がなく、日本人には意思 (will) がない。受け身体制ばかりでは、立瀬がありません。だが、英文法には時制があり、英米人には意思があります。ですから、能動的な活動が必要になるときは、彼らの助けを借りることになります。

 

>白井:それは結局のところ、どのような政治秩序を目指すべきかという話になると思うんですが、僕はあまり「こうあるべきだ」という理想がないんです。

 

‘あるべき姿’ (things as they should be) は、’今はない姿’ (things as they are not) です。時制のない日本語を使って言動すれば、’あるべき姿’ の内容は ‘嘘’ となります。もっと、丁寧に言えば、それは ‘きれいごと’ です。日本人の考慮の対象外といってよいでしょう。

 

>アメリカやヨーロッパではデモクラシーが理想とされていますが、彼らのデモクラシーが今うまく機能しているようには見えません。

 

民主主義は、最低です。しかしながら、今日に至るまでこれを超える政治体制が発見されていないので、当分の間はこの状態を続けることになると思います。

 

>それではデモクラシーが無理だからといって、中国やロシアのように権威主義でいけばいいかというと、こちらにも多くの問題があります。

 

‘朕は国家なり’ と絶対王政の太陽王ルイ14世は言いました。現在でも絶対君主まがいの為政者が共和国にいて、自分が危うくなることは国家が危うくなることとみなして、政敵を国家反逆罪の廉で強制収容所に追放します。収容所列島を維持管理するのもこのためです。問答無用の非民主的な体制ですから、無実の民・民族が前近代的な圧政で苦しんでいます。

 

>政治について研究すればするほど、それに期待することが少なくなりました。>まあ大体において政治なんてろくなもんじゃない。

 

理想的な政治形態の発見に努めましょう。言論の自由を認めない政治体制は、不合格ですね。

 

>重要なのは、政治ではなく、国民が元気でいられるかどうか、です。>国民に元気さえあれば、政治はろくでもなくても、それなりの秩序を形成できると思います。

 

一国の中で政治家同士が戦闘を交えているようでは、国民は浮かばれませんね。世は、まさに戦国時代といったところか。

 

>たとえば、中国の人たちと話をしていると、彼らの中にナショナリズムと非ナショナリズムが共存していることがわかり、すごく面白いんですね。>彼らは「共産党なんてろくでもない」と思っている一方で、「共産党しかない」とも思っている。

 

そうですね。わが国の安倍政権のようなものですね。代替えがきかない政権であるところが共通しています。

 

>それで自分は何をするのかというと、自分の商売を頑張る。>こういう発想なんですね。

 

ナウな感じの答えですね。世界観の欠落ですね。処世術 (現実) 万能ですね。哲学 (非現実) がない。

’我々はどこから来たか’、’我々は何者か’、’我々はどこに行くのか’ の哲学的命題の内容が想定外になっていますね。

 

>これは「自民党なんていいとは思わないけど、自民党しかない」として自民党を支持している日本国民とは似て非なるものだと思います。

 

無哲学・能天気は、特亜三国人 (日本人・中国人・韓国人) で共通点でしょうね。

 

>日本の場合は政治に対してすごくナイーブなんですよ。>実際、日本はそれをうまく利用され、支配されてきました。

 

意見のない人は、他人の後について歩く以外に手がありませんね。乳をたくさん出す乳牛のようなものか。

 

>戦後の日本がアメリカの支配の中で受け取った価値観は、自由主義でも民主主義でもなく、結局のところ近隣のアジア諸国を差別する権利だったわけです。

 

自由主義の享受は、今の日本人には無理ですね。自由は意思の自由であり、日本人には、意思がない。だから、自由そのものにも意味がない。不自由を常と思えば不足なしです。

個人個人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy. 無哲学・能天気な国民は、烏合の衆である。だから、民主主義は衆愚政治になる恐れがあります。

‘上とみるか・下とみるか’ の判断は、日本人にとって得意中の得意な観念です。これは、人種差別主義 (racism) の親戚です。

 

>こうしたコンプレックスの中にいるかぎり、日本の奴隷根性がなくなるはずがない。

 

そうですね。といっても、おいそれと日本語の文法を変えることはできませんね。ですから、当分の間、我々は日本語と英語を二刀流として学んで、国際的な感覚を養うのが賢明な策であると考えます。いずれにしても、語学は考える手段として大切ですね。考え方がわからないと、他人の意見を理解することもできない。

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閲覧数432 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/07/28 23:14
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