>最近、特に若い世代(私含めて)で見られる人間の特徴 >それは、怒られたことに対して、まず始めに謝罪することがない。
内容を理解していないのですから、謝罪はありませんね。
>①に理由を説明し。⇒【言い訳】>②に誤解であることを説明⇒ 【自分発】>そして自分は何も悪くないと思い込む。
それは、本人の意見ですね。
>例えば、怒られることに対して誤解や、すれ違いによるものは間違いなく起こる事象ではあるが、これらはどうしてそもそもが起こるのか、>一番は、伝えるべき相手に対して伝えないといけない事をまったくイメージできていない。
そうと理解すれば、本人は謝罪するでしょうね。
>一見何もおかしいことはしていなくても、相手にそのように誤解されてしまったら、その時点で相手に対してなにも配慮できていないということになる。【相手発を捉えきれていない】
相手に誤解されないような配慮をすることも必要ですね。
>人ははなから怒ることなど無く、一番は意図が通じることができないとこからによる苛立ちが発端になる。
相互理解が必要ですね。民信なくば立たず。 意思は、未来時制の文章内容です。時制 (tense) というものは英文法にはあるが、日本語文法にはない。だから日本人には意思がなく、意思疎通はむずかしい。苛立ちが起こりやすい。
>つまりここで言いたいのは相手が怒ってたらまず始めに考えることは、そういう風に心配・苛立ちを覚えさせてしまった事象にひたすら同化すること。
相手の主張 (文章内容) を理解することが大切ですね。
>何故こんなふうに怒るのかひたすら考える事が大事。
考えることは、常に大切ですね。わからないことがあれば、相手に質問することですね。
>たとえ、それが誤った認識だったとしてもまずはそれを見つけて謝罪し、その後から実はこういう意図がありましたと、自分発の共認を相手に伝えること、でなくなちゃ話は常に平行線になっていく。
お互いに、相手の主張する文章内容を理解することが大切ですね。
>まずは相手の言いたいことを理解し、それに対してそういう不安や苛立ちを発生させてしまったことに対する謝罪をする。(相手の言い分を受け止める)
文章にならないものを抱えていては、お互いに腹の探り合いになるのではないでしょうか。日本人は、感情的ですから危険ですね。
>その後、自分の考え方(意図)を相手に伝えること。
日本人には、意思がない。意思があれば、その文章内容は伝達可能です。相手の理解も必要です。 恣意しかなければ、その文章内容はなく、ばらばらな単語であって意味はない。だから、その意図は伝達不能であります。もやもやした感情になります。
>言葉のキャッチボールとはよくいったもので、相手の言葉をキャッチして受け止めた後、相手に言葉を投げていく。>この受け止めるという言葉はただ言葉を聞いたではなく、その言葉にたいして同化したことを指している。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。 現実の内容は、見ることが可能である。非現実 (考え) の内容は、見ることができない。ただの話である。だから、どうしても文章の理解が必要になる。日本人は、文章内容の理解よりも、忖度 (推察) の方に興味があって、理解がおろそかになりやすい。歌詠みのような性質なのかな。
>同化したら、今度もこちらの言葉にも同化してもらう相互で成り立てば話はスムーズに進んでいくものだし。
文章にならない内容は、理解不能ですね。 日本人は、ばらばらな単語を使うことが多い。だから、理解の得られないことが多い。理解は得られなくても、相手の忖度 (推察) の方を期待している。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には責任がない。議論にもならない。独りよがりか。とかく、この世は無責任。
>信頼・親和というものは自ずと構築されていくものだと感じる。
日本人には、意思疎通 (相互理解) はなく、恣意疎通 (阿吽の呼吸) がある。なーなー主義 (なれ合い) が横行している。首相もそうなら、国民もそうか。日本語言語環境の改善が未来の日本には必要ですね。 意思を明確に表現して、恣意 (私意・我儘・身勝手) を完全に撲滅しないと議論にはなりませんね。国際社会に出ても、相手を説得できないでしょう。 その目的のためには、日本人が日本語と英語をよく勉強して、意思の表現に習熟する必要がありますね。この日英の二刀流により、我々は鬼に金棒の国民になることができるでしょう。
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