2018年12月13日(木) 

 

(略)

>■「歩み寄り」を阻む「プライド」

>仕事という戦場で、盾と剣で戦い続けているうちに、「プライド」という分厚い鎧をまといやすく、そうして肥大化したプライドは、人とつながりを作ることを非常に難しくする。>相手の気持ちに寄り添い、共感し合い、理解し合うことで、関係性は深化していくが、強すぎる「エゴ」(自我)に対するプライドは、胸襟を開いた「歩み寄り」を阻むからだ。

 

そうですね。責任者は孤独ですね。

 

>会社という狭い社会の中で、どちらかが上でどちらかが下という力関係に基づくコミュニケーションを続けているうちに、バリバリと働く女性も「プライド」を背負いやすく、「孤独」は今やおじさんだけの問題でもない。

 

そうですね。社会には権力者が必要ですね。そうでなければ、我々は ‘烏合の衆’ になります。

 

>プライドという言葉は、日本では、ポジティブに使われることが多いが、実はキリスト教では、罪の根源とみなされる7 deadly sins(大罪)の筆頭に挙げられている。その7つとは「傲慢」(pride)、「強欲」(greed)、「嫉妬」(envy)、「憤怒」(wrath)、「色欲」(lust)、「暴食」(gluttony)、「怠惰」(sloth)という感情や欲望だ。>元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。

 

暴君の悪政ですね。

 

>「Pride goes before a fall(プライドはつまずきに先立つ)」ということわざもあるが、まさにプライドとは「おごれる者は久しからず」の「おごり」にあたる。

 

わが国では、平家物語が有名ですね。

 

>一方で、「誇り」に当たるプライドは、ポジティブな効果をもたらすことが実証されている。>サウスウェールズ大学の研究では、プライドが忍耐力ややり抜く力につながり、勤勉さと献身に結び付くと結論づけられた。

 

自分自身から湧き出てくるプライドですね。

 

>つまり、プライドには「良いプライド」と「悪いプライド」の2種類が存在するということになる。実際、英語では、良いプライドはAuthentic pride (正真正銘のプライド)、悪いプライドはHubristic pride(高慢なプライド)といったように区別される。

 

そういうことになりますね。

 

>「正真正銘のプライド」とは、自分の持つ能力に対する誇りの感覚だ。>自分の作り出す作品に対する誇り、仕事に対する献身やその成果に対する満足感など、自分の内面から湧き上がってくる「絶対的な感覚」。

 

ベートーベンは、自分の音楽才能に自信を持っていましたね。

 

>こうしたプライドは周囲から共感も得やすく、また、自分のノウハウや技を共有し、他者をサポートしようとする行動につながりやすい。

 

献身は、共感を得やすいですね。

 

>脳科学的にも、他者とのつながりを促進するセロトニンの分泌と関連付けられている。>一方で、「高慢なプライド」は、自分の有能性や支配力を過度に誇示しようとするために、脆弱な自我と不安、攻撃性を伴う。>こうしたプライドは男性ホルモンの分泌と密接に関わっており、他者との関係性を阻むと考えられている。

 

我々は、体液性の影響を受けていますね。

 

>■「相対的な自信」は百害あって一利なし

>つまり、「誇り」とは、他者からの評価とはまったく関係がない「絶対的な自信」であり、「傲慢」は肩書や身分を根拠に、自分を誇大表示して見せようとすることである。>結局のところ、他者からの承認や評価に依存して得られるものであり、他人と比較したときの優位性に基づく「相対的な自信」ということになる。

 

‘上とみるか、下とみるか’ の社会的な判断に依存するのは、傲慢ということになりますね。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。世俗的な序列判断を心得ていないと、我々は日本語も流ちょうにはならず、礼儀正しい日本人にもなりません。ですから、世俗的な序列判断の獲得は、礼儀正しい日本人になるための努力であると言いうことができます。世俗的な序列順位は責任順位と何ら関係がありません。自ら責任者 (権力者) であることを主張する者もいなければ、責任 (権力) の所在を問う者もいない。ですから、この国がひっくり返った時にも、責任者は出ませんでした。とかく、この世は無責任です。責任観念のない烏合の衆は、むなしい限りです。

 

>こちらのほうは百害あって一利なしということなのだ。

 

そういうことになりますね。

 

>「良いプライド」は謙虚さを伴う。>職人が、現状に満足せずに、つねに高みを目指し、より良いものを作り続けようとする姿はこの典型だろう。

 

意思の力によるものですね。

 

>一方で、自分を進化させていく努力をやめ、他者との競争や、他者からの承認によって自己の存在意義を求めようとすれば、そこには最終的に、空虚さと孤独しか残らない。

 

恣意 (私意・我儘・身勝手) の人の傲慢のことですね。甘え (恣意の容認) は、傲慢を育てますね。他者依存は、むなしいですね。

 

>人は案外、まがい物のプライドにとらわれやすいものである。

 

そうですね。意思の確立は、難しいですからね。

 

>人を解放し進化させるプライドか、人を閉じ込め退化させるプライドか――。

 

意思 (will) は絶対的、恣意 (self-will) は相対的ですね。自己の意思に基づくプライドは正しいプライドである。恣意に基づくプライドは、傲慢である。

 

>そのプライドの真贋を見極めておく必要があるだろう。

 

そうですね。日本人には意思がない。だから、恣意的な人が多いですね。空威張りになりやすい。

 

>岡本 純子 :コミュニケーション・ストラテジスト

 

 

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閲覧数769 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/12/13 11:22
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