2019年01月28日(月) 

 

 

(略)

>高齢者などを見るとこの傾向は顕著で、集会所でも、街中でも、おばちゃん軍団は元気でパワフルに社交を楽しんでおり、夫との死別後はますます意気軒昂という人も少なくない。>そうしたご婦人方に「ご主人は」と尋ねると、たいてい「亡くなった」「家にいる」「たまに図書館に行く」という答えが返ってくる。

 

これらは、ありふれた光景になっていますね。

 

>年を経るごとに男性は、「内向き」の力が働きがちになる一方で、女性は遠心力が働くように、どんどんと「外向き」になり、つながっていく印象がある。

 

印象派の説明ですね。

 

>こうした傾向について、男性更年期など「メンズヘルス」に詳しい順天堂大学の堀江重郎教授は女性セブンで、

 

>「(男性は)獲物を追い、自分を認めてもらい、獲物を仲間に与えることで男性ホルモンは活性化する。>狩りは、今の社会で言えば“仕事”。>引退後、その狩りをしなくなると男性ホルモンの分泌は減少し、意欲と筋力が低下し、いつも家にいる」

>「女性ホルモンは自分の周囲をケアするように働くが、閉経により減少すると、もともと持っていた男性ホルモンが優位になり、外へと目が向く。>閉経後の女性はどんどん外出し、社交的に振る舞うように設計されている」

 

>といった趣旨の解説をしている。>まさに内向き、外向き説はホルモンによっても説明できるということのようだ。

 

ホルモンの傾向で説明すれば、そういうことになりますかね。

 

>これ以外にも、「オジサンの孤独」には社会的、文化的、生物学的なさまざまな要因が絡み合うが、中高年男性を孤独に向かわせる1つの価値観に、冒頭に挙げた「恥」というものがあるように思う。

 

恥は、日本独特なのでしょうかね。

 

>恥についての論考はアメリカの人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』が有名だ。>ベネディクトはキリスト教的な価値観に基づき、自分の内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の「罪の文化」に対し、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」を対比させた。

 

日本人には、罪がない。だから、恥が全てになる。

日本人には、意思がない。だから、加害者意識もない。あるのは、被害者意識だけである。加害者意識がなければ、罪の意識もない。

一方、日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、’上とみるか・下とみるか’ の判断は始終欠かせない。日本人の礼儀作法は、序列作法になっているので、上下判断が疎かであっては、礼儀正しい日本人にもなれない。人を見損なってはいけないということで、(責任の上下関係には関係のない) 世俗的序列意識は強迫観念の域にまで達している。序列観念の不行き届きは恥となる。

 

>要するに「自分の良心に照らして、それが正しければ、ほかからどう見られようと気にしない」という西洋の価値観に対して、「他人や世間からどう見られるのか」ということを極度に気にし、それによって行動を制するのが日本の流儀ということになる。

 

そうですね。西洋人には、自分自身の ‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容があるので、判断基準にそれを使えばよい。日本人には、自分の基準がないので、他人の基準に頼らなくてはならない。それで、極度に気にする事柄を抱えている。

 

>筆者は長年、エグゼクティブに対するコミュニケーショントレーニングをなりわいとしてきたが、日本企業における「リーダーシップ」、つまり、「できる男のイメージ像」というものも、この「恥」の価値観に立脚しているところがあると実感する。>正確性、緻密性が何よりも重んじられ、失敗や間違いを極端に恐れる無謬主義、減点主義の風土の中で、間違いを犯してはいけない、弱さを見せてはいけない、恥をかいてはいけない、と自分を律しがちになる。

 

日本人には世界観がないので、その代わりに細かいことにはトコトン神経を集中させていますね。

 

>他人からの視線を気にして行動を制する「恥」の概念は、「恥を知る」といったように、日本人独特の道徳性を支えてきたともいわれる。

 

‘上とみるか、下とみるか’ の判断は、自国の言語に階称 (言葉遣い) のある国民 (日本人・韓国人) にはつきものでしょうね。’恥’ は、序列道徳の支えとなっているようですね。

 

>しかし、そこにとらわれすぎれば、男女を問わず、人との交友関係を広げよう、何か新しいこと挑戦しようという方向にベクトルは振れにくくなる。

 

そうですね。社交の拡張に問題をきたしますね。

 

>「恥をかきたくはない」と体面にこだわる人と、恥ずかしい姿をさらけ出せる人。>どちらが共感を集めやすいか、仲間を作りやすいかは火を見るより明らかだろう。

 

気さくな人と、そうでない人との違いですね。

 

>恥や共感の研究で有名なアメリカ・ヒューストン大学のブレネー・ブラウン教授の考察が非常に興味深い。>ブラウン教授はTEDトークの中で、こう指摘した。「人との関係をこじらせることへの恐れが『恥』」であり、「男性にとって、『恥』とはすなわち、弱く見られたくない。>これに尽きる」と。

 

軍事大国の見せる励みのようなものですね。

 

>一方で、人と心を通わせることのできる人に共通するのは、「自らのもろさや弱さ(vulnerability)をさらけ出すことをよしとしている」点であると述べている。>つまり、弱く、不完全な自分を認め、受け入れ、さらけ出す勇気、恥をかく勇気こそが、人とのつながりの第一歩であるということだ。

 

平和国家のようなものか。恥はかき捨てにする。

 

>「強さを誇示することが本当の強さ」ではない。>「自分の弱さを認める強さ」こそが、孤独や生きづらさを解消する生き方のカギとなるということなのだろう。

 

そうでしょうね。やせ我慢をするのは、身体に良くないですね。

 

 

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閲覧数846 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/01/28 17:53
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