> 台湾総統、李登輝氏の心に響く言葉より… >台湾人は「日本精神(リップンチェンシン)」 という言葉を好んで用いる。>これは日本統治時代に台湾人が日本人から学んだ、勇気、誠実、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、清潔といった諸々の美点を指す言葉である。
‘考え’ が足りませんね。
> 日本人がこの「日本精神」を失わない限り、日本は世界のリーダー として発展していくことが可能だと私は信じている。
日本人には、’考え’ が必要ですね。
> 日本は敗戦の結果、何よりも経済発展を最優先せざるを得なかった が、敗戦による苦難を耐え忍びながらも、日本の伝統や文化を失わかった。> 日本国内では、「いまの日本の若者はダメだ」という声も聞かれるが、私は決してそうは思わない。
そうですね。若者は、昔よりは良いでしょうね。
> 日本人には戦前と同様の美徳がまだまだ残っている。> 確かに表面的には緩んだ部分もあるだろう。>けれどもそれは、かつてあった社会的な束縛から解放されただけで 、ほとんどの日本人はいまも社会規範を遵守(じゅんしゅ)し、モラルに従がって行動している。
そうですね。わが国は、犯罪率が低いです。安全な国です。外敵の侵入が少ない。
> 日本人の智慧やモラル、そして技術など、これほど素晴らしい国はない。
日本人は、目先手先の細かいことは得意です。おかげで、技術立国になりました。
> 台湾も、その他の国々も、もっと日本を見習うべきと思っている。
そうですね。日本は見習うべきところの多い国です。外国人の技能実習も盛んです。
>さらに私が感じるのは、日本人の国家や社会に対する態度が少しずつ変わってきたことだ。> 一時期は「自分さえよければいい、国なんか必要ない」という考え方に傾くのではないかという懸念もあったが、最近はそれが大きく 変わり始めたことを感じる。
‘国なんか必要ない’ と言うのは、戦前にあまりにも熱心に国を信じて来た反動ではありませんか。
>かつての素晴らしい精神は失われていなかったし、それが改めて高く評価されつつあるのではないだろうか。
日本は、今も力のある国ですね。
>ただ、いまの日本の若い人たちが可哀想なのは、「昔の日本は悪いことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることである。
失敗は、何処の国でもあるでしょう。失敗は、深く学習のできるチャンスです。成功からは、学べない。しかし、失敗から学ぶ態度がないと、それまでです。失敗は、自虐の種にしかならない。
> 日本は世界各国から批判されてしかるべきだと思い込み、自信を失 っているが、そんなバカなことはない。> 昔は昔、いまはいま。>どちらも大切である。> 昔がなければ現在もない。 >そういうところから教育を始めていかなければならない。
失敗から学ぶ態度が確立すれば、大きな成果が得られますね。’上とみるか・下とみるか’ の判断に囚われていれば、元の木阿弥になりますね。
> 日本を批判しているのは中国と韓国だけで、それもまったく身勝手 な、自分たちの都合によるものである。
中国・韓国の日本批判は、彼らの国策によるものですからね。
>いま、 日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。
日本人の伝統的な上下判断に固執するところが、自虐価値観の根幹になっていますね。
>そのために日本人はもっと自信を持ち、 かつての武士道という不文律を築き上げてきた民族の血を引いていることを誇るべきである。
日本人には意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。そこで、精神修養が必要となる。 意思はないが、恣意がある。恣意を鍛えて、意地・根性・大和魂とする。動作は機敏となるが、リーズン (理性・理由・適当) は得られない。サルに毛が三本足りないようなものか。 意思は、未来時制の文章内容である。日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本語の脳裏には未来時制は存在しない。だから、日本人には意思がない。 だが、英文法には時制があり、英米人には意思がある。だから、人間に積極性がある。意思のある人には、責任感もある。信頼されている。 我々日本人も、日本語と英語の両言語を熱心に学び、時制の有用性を理解してこれを自分のものにして明確な意思表示をしよう。さすれば、国際社会で重責を担うことができる。
>そうして日本人としてのアイデンティティをしっかり持つことで、 初めて日本は国際社会における役割を担うことができると思う。
日本人の第二言語を英語にしたらよいでしょうね。さらに有能な日本人が生まれます。
(略)
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