2019年06月29日(土) 

 

 

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> 日本は世界に類を見ない特殊な「対米従属」の国である。

 

そうですね。’アメリカ大好き’ ですね。

 

>なぜそこまでアメリカを尊重するのか。>それは戦後の日本が「天皇の上」にアメリカを戴くという形で、「国体」を生き延びさせたからではないか――。

 

そうでしょうね。日本人の序列メンタリティ (考え方) のせいでしょうね。

 

>政治学者・白井聡氏は新著『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)でそう喝破した。>なぜそうした確信に至ったのか。>白井氏に聞いた――。

> 「日本を愛してくれるアメリカ」という幻想

 

これは、日本人の伝統的な幻想ですね。日本人の嬉しい幻想ですね。仲良く遊んでやーとくれ。

 

>――まず『国体論 菊と星条旗』というタイトルが衝撃でした。 >ふだん「国体」について考えていない日本人が多いと思います。 >なぜこのタイトルを。

 

それは、菊と星条旗は日本とアメリカ両国の象徴だからでしょう。

 

>ごく一般的に「国体」といえば、万世一系の皇統のことですよね。

 

序列メンタリティによれば、連綿と続くことはそれ自体が良いことだ。

 

>「国体」を護持するために命を捧げよ、という価値観に戦前の日本社会が覆われていたのは周知のとおり。

 

序列国家が序列人間を心理的に護るための考え方ですね。国家に連なる序列の中に自己の名前を差し挟むことにより、帰属意識が湧いてくる。これが、わが国の成り立ちです。

 

>敗戦をはさんで、戦後の日本では「国体」は死語同然となった。

 

そうですね。国体の名は、一般的には ‘国民体育大会’ の意味になりましたね。

 

>しかし、「国体」が本当に棄却されたなら死語で構わないのですが、じつは形を変えて存在する。 >これが重要なのです。

 

そうですね。’国体’ の言葉を抑えても、日本語から派生する ‘序列メンタリティ’  (考え方) は抑えられませんでしたね。

 

>占領をきっかけにアメリカが「国体」システムの中に入り込むことで「国体」は生き延び、今やアメリカが「天皇制」の頂点に立つものとなっている。

 

日本人は、あくまでも序列による秩序を求めていますね。外人力士の名前が、日本相撲の番付表に載るようなものですね。

 

><菊>を頂点としていた「国体」は、<星条旗>を戴いて戦後も生きているのです。>その結果が、世界に類を見ない特殊な対米従属です。

 

日本人の序列に依存する形式ですね。いくら外人力士が参加しても、日本相撲は国際相撲にはならない。

 

>日米関係において「思いやり予算」「トモダチ作戦」などエモーショナルな用語が繰り返し使われるように、「日本を愛してくれるアメリカ」という幻想がふりまかれてきました。

 

いつの世も、‘天皇は国民の為、国民は天皇の為’ ですね。’お前のお前’ すなわち二人称の世界は確立していますね。無哲学・能天気の人間は、感情・情緒に頼るしかないでしょうね。

 

>それらは、支配の現実を否認するための方便なのです。

 

‘心ここにあらざれば、視れども見えず’ ですね。日本人の世界のとらえ方は、英米人のとらえ方とは違っていますね。

 

>この「支配の否認」というゆがんだ心理構造の起源は、戦前の「国体」の概念を考察することで見えてきます。

 

そうですね。序列思考は、近代国家の形成には役立ちませんね。

 

>それによれば、天皇と臣民の関係は親密な「家族」であり、そこに支配は存在しない。

 

天皇はただ一心に国民のためをのみ思い、国民はただ一心に天皇のためのみを思う。

 

>そのように、支配の現実を否認させたのが戦前の「国体」ですが、戦前に作られた日本人のゆがんだ心理構造が横滑りするかのように、アメリカを頂点とする「戦後の国体」においても働いていて、それが日米関係を不健全なものとしているのです。

 

アメリカはただ一心に日本のためをのみ思い、日本はただ一心にアメリカのためのみを思う。はたして、これは成り立つか。それとも白昼夢であるのか。

 

>その影響は対外関係にとどまりません。>支配を否認している限りは、自由への希求も、抵抗する知恵も生まれてこない。

 

そうですね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断は避けられません。こうした世俗的な上下判断に習熟していないと、日本語の日常会話にも不自由することになります。また、日本人の礼儀作法は、序列作法になっていますから、世俗的な序列判断の疎かな者は、礼儀正しい日本人にはなれません。序列感覚を喪失した日本人は、非国民と呼ばれて序列協力の対象外とされています。村八分は本当に恐ろしい。人を見損なってはいけないと言う想いは脅迫観念の域にまで高められて、日本人は四方八方に気配りをしなくてはなりません。どうか、いつも頑張ってください。

 

>つまり、「国体」のなかに生きる人間は「自己満足した愚かな奴隷」になるわけで、このような国民がまっとうな社会を作れるわけがありません。

 

我が国の国体は序列を基礎にして成り立っていますから、国体の中に生きることは序列の中に生きることになりますね。わが国には、奴隷制度がない。

 

>経済にせよ、政治にせよ、今の日本の末期的状態の根本原因はここにある。>だからこそ、今、「国体」を問う意味があるのです。

 

そうですね。日本語は、日本の末期的状態の根本原因でありましょう。

 

 

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閲覧数475 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/06/29 04:57
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