2019年07月26日(金) 

 

 

>◆「体制が望む方向」に勤勉だったということ

>昔から現在まで、日本で「優秀な人材」というと、紛れもなく「有名大学を良い成績で卒業した人」という意味だ。

 

そうですね。

 

>学歴社会のコアになっている考え方がここにある。

 

わが国は、序列社会ですからね。現今の序列の基準は学歴になっていますね。

 

> 一流大学の成績優秀者であればあるほど「良い人材」なのである。

 

一流大学の卒業生は、名目的な良い人材ですね。

 

>これらの学生は、必死に勉強し、熱心に暗記し、勤勉であるのは間違いない。> 重要なのは、「体制が望む方向」に勤勉だったということだ。

 

そうですね。文部省の指導基準に従っているのでしょうね。

 

>体制が作り上げた価値感に従順だったという言い方もできる。> 与えられた課題を一生懸命にこなすという意味で優秀だったのだ。

 

我が国の大衆の価値観は、序列の中にありますね。序列のないところには、価値も存在しないのかもしれませんね。

 

>「なぜ、こんなものを覚える必要があるのか?」「なぜ、課題を与えられてこなす必要があるのか?」とは考えない。

 

無哲学・能天気の社会においては、哲学的な思索は御法度ですね。その答えは、何処からも出てこない。

 

> 不良学生は、逆にこう考える。 >「なぜ、学校は俺に命令する権利があるのか?」 >「なぜ、興味のないことを覚える必要があるのか?」 > 不良学生が不良であるのは、体制に従順ではないという意味で不良であり、優秀な学生が優秀であるのは、体制に従順であるという意味で優秀なのだ。

 

そうですね。要は、体制を基準にして学生を優秀と不良を振り分けていることですね。現実に対する判断が、処世術として優秀か不良かということですね。

 

>そう考えると、日本人の優秀な人材とは、必然的に体制に従順であることが分かる。>そして、体制を疑わない人間ばかりがトップに集まるということになる。

 

そうですね。無哲学・能天気の国民であることを考慮すると、人々の気になることは体制しかないですね。

 

> 体制を疑わないということは、体制のあり方に疑問を持って、それを変えて行こうとはしないということでもある。

 

そうですね。現実肯定主義ですね。反革新ですね。

 

>そういう人間をわざわざ選んだのだから、体制のあり方に疑問を持てという方が間違っている。

 

そういうことになりますね。

 

> 世の中が変わっても、体制に従順なので、世の中に合わせようとする発想がない。

 

日本人には、世界観がない。ですから、’来るべき世界’ に移行する手立ての発想がない。何事も、お変わりのないのが何よりなことです。

 

>それが変化できない大きな理由になる。

 

そうですね。反革新ですね。現実肯定主義ですね。

 

> 日本のあちこちが「先延ばし」「事なかれ」「優柔不断」になっているのは、要するに体制に従順な人間がトップにいるということであり、いよいよその弊害が現れているということでもある。

 

そうですね。優柔不断・意志薄弱である。’先延ばし’ に ‘積み残し’。雉も鳴かずば 打たれまい。

 

> :::中略:::

> 日本が生き残るためには、そろそろ優秀な人材の定義を変えなければならない時代になっているのである。

 

そうですね。次の世界への移行計画を着想できる人が優秀な人材ですね。

 

> :::引用終わり::: 

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数532 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/26 16:28
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