2019年07月26日(金) 

 

 

>347929 自分で考えられないロボット人間へ育つ子供たち  >匿名希望            19/07/25 PM08 【印刷用へ】 

>もともと明治から導入された学校制度の「均一な兵を作り上げる」という目的を考えると、それは現代においても効果を発揮しているのかもしれません。

 

そうでしょうね。

 

> 自分の意思で動けない人材が社会に溢れてさせている教育制度を根本的に考え直す必要があると思います。

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は、仕方がないから、無為無策でいる。

意思は、未来時制の文章内容である。だが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制がなく、日本人には、意思がない。

 

> 引用先 → リンク

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>既存の学校教育では教師の進める授業をなぞるだけという暗記が殆どだと思いますが、その結果増える人間は言われたことだけに従うロボット人間です。

 

そうですね。暗記に忙しくて、思考停止に陥っていますね。

 

> 勿論、言われたことに忠実に従うことが全て悪いことだと言うのではありません。> 状況を自分自身で把握し、自ら考えて動くと言うプラスアルファの素養が欠けた人間が育ちやすいということです。

 

そうですね。実に残念なことですね。

 

>ただ教師・管理者の命令を待つロボット >私がまだ高校に在籍していたときのことで、1学年だったときのことです。>そのときの学校では体育の授業で移動があるときはクラスの人間が教室で着替えて、全員が教室を出たのを確認した後に教室のドアに鍵をかけるという決まりがありました。>そしてその教室の鍵を日直だったと思いますが、クラスの担当者が職員室に預けてから授業に向かうという流れだったのです。

 

普通、学校ではそうしますね。

 

> 貴重品などが盗まれたりしないための予防策みたいなものだったと思いますが、これがなかなか考えさせられることがありました > というのも確かに防犯の観点から見れば正しい措置かもしれませんが、逆に授業が終わってクラスの人間が教室に戻って着替えようとすると鍵が閉まっていることが普通だったのです。>そして、鍵が閉まっているから入れないということでいつもクラスの人間たちが教室の前でたむろして、ロッカーなどに寄りかかり私語をしているというのが日常だったのです。>その時の私のクラスでは体育の授業が終わった後は昼休みになっていましたので、ドアが開かなければ昼食をとったりできません。

 

誰かがドアを開ける改革案を提案しクラスで議論すると良かったですね。

 

(略)

> 昼休みだってせいぜい25分から30分くらいしかなかったはずですから最初に来た人がどんどん考えて行動すればいいはずなのですが、このようなことがずっと続いていたのです。> 確かにカギを回収してドアをあけるのは本来日直の役目ですし、職員室まで移動するのが面倒だとかいう理由も色々あったのかもしれません。>しかし、ただでさえ大事な昼休みの時間が無くなっていくのを黙って待っているような現象に何の変化も無かったのは今でも覚えていますし、クラスの人もなんだか発展性が無いなという感覚でした。

 

そうですね。座して死を待つ感覚ですね。

 

> 当時の私も無気力だった感は否めませんし約束事をあまり守らないというお世辞にも出来の良い人間とはいえなかったのですが、こうした違いは存在したと思います。> 自ら考えさせ動くという経験が殆ど無い学校  > 過去のことなのでもうこの辺にしておきますが、とにかく私が今思うにはこうした主体性の無さというのは学校の授業や基本方針が長年染み付いているからこそだと感じます。

 

意思の無い人間には能動が無いので、主体性は見られませんね。

 

 教師という支配者が決めたとおりに動く事だけが善とされ、命令されたことと違うことをする人を悪とする風潮が学校では今も根強いはずです。

 

意思の無い社会の人間は、恣意 (私意・我儘・身勝手) で動きます。ですから、周囲のひとから常に警戒されますね。思考停止の状態では、違うことする人を悪とします。情けない判断結果です。

 

>そして正解至上主義で間違うことが一方的に悪いことだとみなされるので、失敗を前向きに捉えて次に生かすにはどうすればいいのかという発想自体が非常に希薄なのです。

 

その通りだと思いますね。

非現実 (考え) の内容は、人さまざまです。矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。ですから、正解は一つではない。いくらでもある。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の筋がわかる為には、その文章内容を文法に従って理解しなければならない。それは、骨の折れることである。ですから、通常日本人はやらない。忖度 (推察) で済ませている。これは、思考停止の状態である。自己の発想はない。

 

>そうした命令に従うことだけを強制され続けた結果育つ人間というのが、失敗に過敏になり指示されたことに従うだけで自分から色々と考えることが出来ない人間ではないでしょうか。 

 

そうですね。思考停止の状態では、自分から色々と考えることができませんね。不自由を常と思えば不足なし。我々は、江戸時代からの伝統を受け継いでいますね。

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数352 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/26 11:34
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