2020年06月30日(火) 

 

 

>358061 正解思考を脱して、仲間との追求へ

>女の職場話     20/06/30 PM09 

>こんばんは☆ >自分の頭でモノを考えるには?

> 中高年の自分自身の思考を振り返っても、それを阻んでいるもののひとつに、「正解思考」があると感じています。(学校教育に従順で、優等生な人ほど、陥りやすいのかも・・・)

 

現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。正解は常に一つである。考えることも無い。楽ちんである。正解思考の根源となっている。

 

> 前回取り上げた「完璧思考」に近いのですが、この「正解思考」は正解ではないこと=マイナス評価を極度に恐れる、というところで余計に厄介かなと思います。

 

正解思考は、日本人が序列順位を争う時の手段となっていますね。

 

>どこかに「正解」があると思い込んでいるので、それが分かるまでは(マイナス評価になるかもしれないから、怖くて)何も発信できないという感じです。

 

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。単なる話である。その内容を知るには文章を文法に従って理解するしかない。これは骨の折れる仕事である。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

矛盾を含んでいない文章は、全てが正しい考えを表している。考えの内容は、人により様々である。だから、その正解も様々で一つではない。幾らでもある。

 

> 例えば、仲間から何か指摘を受けたときも、「何を言ったら皆は許してくれるのかしら?」といったズレた意識に陥ったり、下手をすれば指摘されたときの自分の感情すら「分からない」と答えるほど、自分を守ろうと潜在思念を封鎖してしまうのです。

 

日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。だから、自分を守ることが難しい。弁明 (vindication) ができない。

 

> 正解思考、何が問題でしょうか?

 

現実の内容しか出て来ませんね。自己の考え (非現実) の内容が発想できていませんね。これは子供と同じです。十分な精神的な成長が見られない。これが問題です。 

 

>どうしたら突破できるでしょうか?

 

我々は、日本語と英語の両言語をよく勉強する必要があります。そして、文法における時制の大切さを深く理解する必要があるではないでしょうか。

 

(略)

 

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数302 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/06/30 22:30
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