2021年02月26日(金) 

 

 

>363351        借り物ではない自分の言葉

>阿留毘 ( 71 会社員 )         21/01/07 AM02 【印刷用へ】

>年末から年始にかけて、引きずっていた風邪がぶり返したので、外出も出来ず、寝ながらNHKや民放のドキュメント番組などを観て過ごす結果となった。 >その中で、先ず気づかされたのが、戦後日本(人)の劣化で、それは政治(家)の世界で顕著で、特に外交交渉などに於ける優柔不断さや結論先延ばしの逃げの姿勢である。

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン 氏 (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) の<世界にあって世界に属さず>の中で日本の交渉能力について下記の段落のように述べています。

アメリカ政府はとくに、中曽根を含む日本の歴代首相との交渉を通し、日本の場合には、政府の公式首長であれ他の誰であれ、実効性のある交渉は不可能だと気づかされた。他の多くの国も今世紀を通して分かったのは、日本の交渉者とは実質的な交渉はできないということだった。日本の交渉者が交渉不能なのは、交渉者のどんな言葉に対しても本国で反対される可能性がつねに存在するためだ。この難しさが、日本に対する戦前の欧米諸国の態度を大方決めたのだった。ある日本外交史の専門家が要約するように-戦前の日本ほど、国際的信頼を得たいという強迫観念にかられながら、世界中から信頼されなかった国はない。交渉の失敗を考えることすらこわがっていたにもかかわらず、日本の指導者も交渉者も交渉は最小限にとどめたし、考えもこり固まっていたので、非難されることは必然的だった。・・・・交渉という交渉で、指導者も外交官もあやまちをくり返すまいと意識して努力したにもかかわらず、結果は何度も何度も同じ落とし穴に落ち込んでしまうのだった。(引用終り)      

 

>それを許している根本原因が我々の側にあることも間違いない。

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

>近いところでは1か月程前に行われた日中の外相会談後の共同記者会見で王毅外相から真逆の日本漁民による尖閣の中国領海内における不法操業問題が一方的に指弾されたとき、茂木外相が一言も反論もせず愛想笑いを浮かべていた様子が報道され、世論の反発を招いていたが、竹下派であればしょうがないなどと、妙な納得をして、そのうちに忘れてしまうのが日本人の悪い癖である。

 

それは中国人には見られない日本人の悪い癖ですね。    

 

>そのような外相しか持つことが出来ない我が国の責任は、専ら国民の側にもあり、我々自身が自分の頭で常に考え、答えを出していく訓練を日々積み重ねる以外にない。

 

まったく、そうですね。

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

 

>日中国交正常化以降の50年弱の歴代の首相の交渉結果と周辺状況についてもドキュメンタリーは放映されていたが、天安門事件後の日本政府の国際世論を無視した外交は、宇野首相から海部首相の時代であるが、天皇の政治利用など如何に将来に禍根を残すことになるかの思慮に全く欠けた政治判断と言わざるを得ない。 >その後の、橋本首相(本人のハニトラ問題や上海領事館員の国家機密漏洩阻止自殺問題)や民主党政権下の管首相(中国漁船船長釈放問題)などは論外としても、小泉首相や安倍首相にしても、米中二股外交など危なっかしい限り。 

 

日本人は、自己が確立していないからでしょうね。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」    

 

 

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閲覧数45 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/02/26 11:00
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